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更新日:2014年1月10日

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10.東叶神社

 

東叶神社

(東叶神社)

狛犬

(狛犬)

勝海舟断食後の碑

(勝海舟断食後の碑)

勝海舟

(勝海舟)

叶神社のお守り

(叶神社の合格祈願のお守り:東叶神社では「お守り袋」を販売している)

 東浦賀町二丁目(新井)にあります。
 裏山を明神山といいますが、それは叶明神社が祀られていることによります。 『新編相模国風土記稿』に「拝殿は山下にあり、祭神は応神天皇で、 正保元年(1644)九月十九日に西浦賀の本社を勧請(神の分霊を迎えて祀ること)。 牛頭天王、船玉明神を合祀。」とあります。
 しかし、叶神社の縁起には、養和元年(1181)に京都の高雄山神護寺の僧・文覚が石清水八幡 をこの地に勧請し、文治2年(1186)に源頼朝が、源氏再興の願いが叶えられたので、 叶明神と改めたとされています。
また、別の伝えによれば、元禄5年(1692)に浦賀村が東と西に分かれたとき、 西浦賀村の叶神社を遷して祀り、西の叶神社を本宮、東の叶神社を若宮と呼んだともいわれています。
 東叶神社は明治になるまでは、耀真山永神寺といい、古義真言宗醍醐寺派三宝院に属し、 横浜の金沢区から三浦半島全域において、本山格の寺格をもった修験道の寺でした。
 お寺の時代には、この山頂で火渡り修行などが行われていたそうです。 お寺の格式が高かったことを示すこととして、4人の料理人が常にいて、 本格的な会席料理もできたということです。 これは、来客数が多いということだけでなく、来客の階層の高さをも想像させます。
 玉垣を巡らせた境内の正面、石の鳥居は浦賀湾に面しています。
境内には白い砂がまかれています。
 すぐ右手、御水屋の脇に大きな石が二つあります。この石には人の名前と文字が刻まれており、この石が力持ち競技に使われたことがわかります。
社務所の前を通り過ぎると赤い鳥居があります。
 石垣に開いた祠の奥には石の弁才天が祀られています。
 祭神は「厳島媛命」で、海難その他の難事の際に、身代わりとなって人々を救う 「身代わり弁天」として祈願されています。
 社務所の裏に井戸があります。幕末に、遣米使節の護衛艦となった咸臨丸の艦長として、太平洋横断を成し遂げた勝海舟が、 航海前に、この井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられています。
 ペリー来航(1853)から咸臨丸出航まで7年たらず、長崎海軍伝習所での1年4か月間、 航海実習も、鹿児島訪問、長崎と江戸の間を数回往復した程度であり、 名にしおう冬の太平洋横断を行う艦長である勝としては、舟玉明神を祀る叶神社に、 切実な思いで祈願したであろうとは思います。
しかし、多忙な勝に、山頂で断食する時間的余裕があったでしょうか。
 さて、境内に戻ります。
拝殿の前には一対の狛犬があります。 向かって右側は口を開いた阿形で、左側は口を結んだ吽形ですが、 ここの阿形は口の開きかたが小さいように見えます。 ここの狛犬はそれぞれ子を抱えており、右側阿形は子が乳を含み、 左側吽形は親が子を保護するほえましい姿です。
 拝殿は、昔は日吉造り(滋賀県日吉神社が源)でしたが、現在のものは神明造り(伊勢神宮が源)です。
 拝殿の左側の、山頂へ続く石段を登り始めてすぐ左側に 「丹ょ起丹ょ起と 帆ばし良寒き 入江哉」という、芭蕉句碑といわれているものがあります。
この自然石の句碑は、芭蕉の没後150年目の天保14年(1843)に浦賀の俳匠・福井貞斎が建てたものですが、 現存の芭蕉の記録には、この句がなく、芭蕉が浦賀を訪れた記録もないので、 いつどこで詠んだものか、はっきりしません。しかし、浦賀の湊の情景をよく表現した句です。 

                                               -浦賀城跡-
 東叶神社拝殿の左側から始まる200段を越える石段(恵仁志坂・産霊坂) を登りきった山頂の正面にある奥宮は、小さいながら立派な彫刻のある本殿でしたが 火災により焼失しました。 現在の本殿は、創建八百年を記念して昭和56年(1981)に再建されたものです。
 この明神山は、叶神社が勧請されてからの呼び名であり、小田原北条氏(後北条氏)分国の頃、 伊豆下田の領主が三崎城の出城として水軍の砦を築いたので、古くは、下田山とか城山と呼ばれました。
 ここは、戦国時代の弘治2年(1556)三浦半島が房総の里見軍に攻められたため、 北条氏康(後北条氏第3代)が築城したらしい浦賀城があった所です。 この城は、千葉の里見氏に対する戦略目的(防備)で置かれた三浦半島水軍の根城でした。 城として必要である堀について、近年、空堀の存在・構造を説明する調査報告なども出ています。
 対岸の房総半島を一望できる山頂は平坦ですが、現在は木が繁り、展望はあまりよくありません。城の遠見番所、あるいは本丸のあったところかも知れません。 ここには浦賀ドックで殉職した人の慰霊塔があり、現在の住友重機械工業に引継がれています。
 奥宮の近くには東照宮や神明社があります。この山は、全体が社叢林(社寺林)として、昔から自然のまま保護されてきたので、 自然林として県の天然記念物に指定されています。

 *東叶神社のホームページ(外部サイト)

神奈川県神社庁の「叶神社」の紹介(外部サイト)

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市民部浦賀行政センター

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ファクス:046-842-7511

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