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更新日:2017年2月27日

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浦賀港の引揚船

浦賀港引揚記念の碑

(西浦賀の「浦賀港引揚記念の碑」)

浦賀港は、第二次世界大戦後、外地からの引揚者を受け入れた引揚指定港となり、56万人もの引揚者を受け入れた。横須賀市は平成18年10月に市制施行100周年のプレ事業として、「浦賀港引揚記念の碑」を引揚船が接岸した通称「陸軍桟橋」(西浦賀1丁目)に建立した。
引揚船を模した石碑に「浦賀港引揚記念の碑」と題字が刻まれており、下部の赤御影の部分に碑文、裏面には建立趣旨が刻まれている。
なお、久里浜の長安寺には、引取手のない遺骨を供養するため浦賀援護局が建立した「浦賀引揚援護局引揚者精霊塔」がある。また、久里浜少年院には、引揚者のなかで発生したコレラによって亡くなられた方々を供養する供養塔が建立されている。

 

 

 

 

 

 

 

(正面の碑文)
昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争は終結。ポツダム宣言により海外の軍人、軍属及び一般邦人は日本に返還された。ここ浦賀港も引揚指定港として、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れた。引揚者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出した。ことに翌21年、華南方面からの引揚船内でコレラが発生。以後、続々と感染者を乗せた船が入港。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、有史以来かってない大防疫が実施された。この間、祖国を目前にして多くの人々が船内や病院で亡くなる悲劇があった。昭和22年5月浦賀引揚援護局の閉鎖で、この地の引揚業務も幕を閉じる。私たちは再び繰り返してはならない戦争により悲惨な引揚の体験を後世に伝え、犠牲となられた方々の鎮魂と恒久の平和を祈念し、市制百周年にあたりここに記念碑を建立する。

横須賀市

 

(裏面の設立趣旨)
ここ浦賀港は、先の大戦終結後、引揚指定港の一つとして極めて重要な責務を担いました。引揚とコレラ等の防疫に携わったすべての人々をねぎらい謝意を表するとともに、この地で倒れた幾多の御霊に弔意を表します。この碑は、引揚者や地元の方々の熱意により建立が実現したものであり、市制百周年を迎えるにあたり、当地の歴史を再認識し、恒久平和の願いを後世に伝えんとするものです。

平成18年(2006年)10月 横須賀市長 蒲谷亮一

 

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