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顕正寺の石段を下りて左へ10歩ほど歩くと赤い鳥居があります。
この階段の上が東耀稲荷(1782年創建)です。 この名の由来は、隣のお寺の東耀山顕正寺の山号によるもので、 ここは古くは顕正寺の境内であったといわれています。 この稲荷はさほど大きくありませんが、格天井や欄間などの彫刻の見事さは 東西浦賀の稲荷社の中では随一です。 正面の大棟には、かつて立派な鳳凰の鏝絵がありましたが、屋根の修理の際、 再現出来る技術者の無いまま、今では白いしっくい塗りとなりました。 また、左右隅棟の上には恵比寿と大黒天の飾り瓦が乗り、 いかにも商業の街として繁栄していたことを偲ばせてくれます。 この稲荷は火防の神としても崇拝されています。また、ここには須賀神社も合祀され、 新町の鎮守にもなっています。 この他の稲荷としては、浦賀駅から左、横浜銀行の先の細い道を入って、 すぐ左側に福寿稲荷(1847年創建)があります。 また、住友重機械通勤門の近くに、道から左に少し登ったところに、津守稲荷(1826年創建)があります。 さらに、八雲神社の入口近く、神社に向かってすぐ左の石段を登ったところが船守稲荷 (嗽水盤には天明五年(1785年)と彫られている。)です。 津守の津は港を意味し、船守は文字どおりで港町浦賀にふさわしい名前です。 福寿はもはや言うに及ばないでしょう。 祭神はいずれも、食保神で祭日は2月の初午です。 |
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