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白い貴婦人といわれ、「おいら岬の灯台守は」の歌で知られるこの灯台は、
我が国で建てられた最初の洋式灯台です。
明治維新でできた新政府は、横須賀製鉄所を建設するため、フランス人技師(首長) レオン・ヴェルニーに依頼し、レオンは、建設課長フロランにその仕事をさせました。 明治元年12月29日、建築にとりかかり、明治2年(1869)正月元旦に点灯の初日を迎えました。 大正11年(1922)4月26日の地震で大きな亀裂ができたので、 大正12年(1923)3月15日に二代目を再建しましたが、 大正12年9月1日の関東大震災で崩れ落ちてしまいました。 その後、大正14年(1925)6月1日に再建され、現在に至りますので、現在は三代目になるわけです。 海岸には二代目の灯台の台座が残っているので、注意してご覧下さい。 初代の灯台に使用されたレンガは、フランス人技師により、 我が国最初の製鉄所である横須賀製鉄所で造られたもので、 その一つ一つに、「ヨコスカ製鉄(鋳)所」の印が押されています。 この灯台は慶応2年(1866)日本が、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ の4か国と結んだ江戸条約に基づいて造られたものです。 灯台構内には、高浜虚子の「霧いかに深くとも嵐強くとも」という句碑と、 海上保安庁の初代長官、大久保武雄(橙青)の「汽笛吹けば霧笛答える別れかな」の句碑が立っています。 灯台の高さ19m、光の届く距離37km、光度14万カンデラです。 昔は、灯台守が家族で灯台を管理していましたが、現在は無人です。 霧や雨で視界の悪い時、「ボー、ボー」と鳴る霧笛の音は、なんともいえないもの悲しさを誘います。 灯台を見学(有料)した後、正面の坂道を下ります。 これが当初からの本道です。 灯台前の海岸に出ます。 前の海岸から右手を見ると、通信所のところから海岸に突き出たところがあり、 塔のようなものが見えます。 「水中」と土地の人は呼んでいます。 戦争中、アメリカの潜水艦が東京湾に入ることを防ぐため、ここでスクリューの音を聞くために 造られたのだそうです。 また、ここから千葉県まで防潜網を海中に張り、たくさんの機雷を沈めたそうで、 戦後、それを取り除くのに大変だったそうです。 |
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