ペリーの黒船



(ペリー提督)
黒船とは、室町時代末期から江戸時代末期にかけて、わが国を来訪した欧米諸国の 艦船の総称で、その船体が黒色に塗ってあったことに由来します。
特に、鎖国時代の大型外国船を意味するようになり、主な黒船来航としては、以下のようなものがあります。
@天保8年(1837)
アメリカ商船モリソン号が通商を目的に浦賀港へ来航
A弘化元年(1844)
クーパー船長率いるオランダ軍艦マンハッタン号がオランダ国王の開国勧告書簡を携えて長崎に来航
B弘化3年(1846)
米国東インド艦隊司令長官ビットルが率いる軍艦2隻(乗組員1,000名、砲門107)が浦賀に入港、 通商を求めるが果たせず。
C嘉永6年(1853)
米国東インド艦隊司令長官ペリーが率いる蒸気船サスケハナ号、ミッシシッピー号、帆船プリマス号、 サラトガ号の黒船艦隊4隻が大西洋・インド洋航路で浦賀沖へ来航し、浦賀(現在の久里浜)に上陸。
ペリーはアメリカ大統領の親書を携え、日本に開国を迫り、大砲(空砲)で脅しをかけながら、 翌年に日米和親条約を締結させました。
日本は長い鎖国から、一気に開国へと向かいます。

「泰平のねむりをさます 上喜撰 たった四はいで、夜も眠られず」と狂歌にも謳われた ペリーが率いる黒船は、黒船の代表的なものとなりました。