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浦賀警察署に向かって右側の歩道に面して、安山岩の中でも板状節理が発達した箱根産の根府川石に、
「大衆帰本塚」と篆書体で刻まれた石碑が建っています。
この大衆帰本塚は、元治元年(1864)浦賀奉行所の大工棟梁・川島平吉の発案により、 奉行の大久保土佐守が賛同し、篆額は大畑春国が記しました。 碑文は、浦賀奉行所与力・中島三郎助の筆致をそのまま刻んだものです。 「此和多理能むかしのさまをおもう尓」で始まる流麗な筆致の平安疑古文は、 この土地が開発される以前の様子を記し、ここで命を落とした先人たちの思い を忘れぬようにとの思いを伝えるものです。 また、浦賀警察署の場所には、もと、地蔵堂があり、ここの堂守をしながらその生涯を閉じたのが、 「近世浦賀畸人伝」にも記載のある、遊廓の主人から僧侶になった江戸屋半五郎(僧・深本)です。
この辺りの昔の様を想うに、沢の辺の田処にして葦蟹なども住みけむからに、
蟹田(蟹田川はガンダガワと言う)としも呼び初めにしやあるらん。
中島三郎助永胤 大畑春国篆 元治元年甲子秋九月 |
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