西叶神社

西浦賀コースC


(西叶神社)


(彫刻)


(彫刻)
西浦賀の鎮守。
西叶神社と書きましたが、本来は叶神社が正式名称です。
しかし、東浦賀にも叶神社があり、区別のため、西叶神社と呼んでいます。
縁起によれば、「平家物語」に登場する文覚上人が、源氏の再興を願って房総半島の鹿野山に修行し、 もし自分の大きな願いが叶えられるなら、よい土地を選んで神社をたてることを誓いました。
養和元年(1181)この願いが叶えられそうになり、神社を建てる場所を探した結果、 頼朝ゆかりの千葉・鹿野山の対岸である西浦賀の地が選ばれ、ここに石清水八幡宮を勧請しました。
この場所は現在の浦賀丘3丁目にあり、文覚畑と呼ばれています。
文治2年(1186)壇の浦の戦いで平家が破れ、源氏の世になると、大きな願いが叶ったことにより 「叶明神」の称号が与えられた、とあります。
文覚上人(1139〜1203)は、もと鳥羽天皇の皇女に仕える北面の武士でしたが、出家し、 諸国の霊山で修行し、その効験をもって知られていました。
後白河法王に対する荘園寄進の強要により伊豆に流され、平氏嫌いでもあった上人は そこで頼朝と出会い、源氏の挙兵を勧めたといわれます。
現在の社殿は天保13年(1842)に再建されたものです。
社殿をとりまくたくさんの彫刻は、後藤利兵衛という安房国(千葉県)の彫刻師の若い頃の作品で、 後藤はこれらの仕事が認められ、その後幕府の彫刻師として雇われました。
拝殿の格天井の彫刻は花鳥ですが、この中には当時の日本にはまだ渡来していないとされる 花や鳥も彫られており、後藤はどこでこれらの知識を得たのでしょうか。
また、神殿の棟柱を担ぐ力士像なども他には類を見ない優れた作品であり、 これらの彫刻は横須賀市の市民文化資産に指定されています。
社殿の下にある銅製の大きな灯籠は、浦賀の遊廓によって寄進されたものです。
また、水屋にある石の漱盤も遊廓の主人で、僧侶に転身した江戸屋半五郎が寄進したものです。
現在、社務所があるところは、江戸時代は不動明王を本尊とした感応院西栄寺という古義真言宗のお寺 があり、高野山から、南関東一円に配る御札や加持祈祷に使うものが送り届けられ、 それを配布する役目をしていました。
また、この場所に明治4年、西岸学舎が置かれ、東浦賀の乗誓寺に置かれた東岸学舎と 明治31年に合併して浦賀小学校が誕生するまで存続しました。
明治14年、明治天皇が観音崎砲台の視察の際、この教室が休憩所として使用されました。

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