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更新日:2010年11月1日

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浦賀港に浦賀奉行を置く(江戸時代)

浦賀奉行所の設置

江戸の町の発展に伴い、全国から江戸へ向けて物資が船によって運ばれるようになると、三崎・走水両奉行所を統合してつくった下田奉行所では対応できなくなり、享保5(1720)年12月、浦賀に奉行所を設置し、「船番所」を置いて、江戸へ出入りする船をすべてここで検査する体制を整えました。

この船改めを直接担当したのは、回船問屋と呼ばれる下田問屋、東・西浦賀問屋の三方問屋で、約100軒ありました。
下田問屋の人々は、下田奉行所当時からこの仕事に携わっていて、奉行所移転に伴って浦賀へきました。
現在、県の民俗文化財に指定されている「虎踊り」は、この下田問屋の人々が浦賀にもってきたものだといわれています。

浦賀に奉行所が設置されることについて、干鰯(ほしか)問屋の生活権がおびやかされるということで、町(特に東浦賀)をあげての設置反対の運動があったことは忘れられないことです。

江戸時代も半ばをすぎるころから、浦賀沖へしばしば外国船が姿を見せるようになり、鎖国政策をとっている我が国にとって、外国船から江戸を守るため、浦賀奉行所に「海防」という大きな役割が加わりました。

文化年間(1804~1818)には幕府の命令により、会津藩によって初めて台場(砲台)が築かれ、以後、川越・彦根・熊本・長州と、三浦半島は目まぐるしく各藩が警備にあたりました。
中でも、台場をつくることにもっとも苦労のあった会津藩にゆかりのある人々の墓が、鴨居を中心に数多く残っています。

写真:浦賀奉行所の模型(浦賀文化センター蔵)

 

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