ホーム > 市政情報 > 横須賀市紹介 > 市の概要 > よこすか歴史絵巻 > 江戸時代年表 > 咸臨丸、浦賀港を出港(江戸時代)

更新日:2010年11月1日

ここから本文です。

咸臨丸、浦賀港を出港(江戸時代)

咸臨丸

嘉永6(1853)年、ペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖に姿を現しました。
長い間鎖国政策をとってきた徳川幕府は、海軍創設の必要性を痛感し、オランダ政府に軍艦を注文しました。
そして建造された軍艦が咸臨丸(長さ約49m、砲12門、3本マスト)でした。

安政4(1857)年、オランダを出港し、同年8月に長崎に到着しました。
そこで練習艦として使用され、勝海舟や榎本武揚など、わが国の近代化の礎を築いた俊英が育ちました。

安政5(1858)年に日米修好通商条約が締結されましたが、この条約の批准書交換のため、安政7(1860)年、米軍艦ポーハタン号に乗り日本の使節団が渡米しました。
このとき咸臨丸はその随伴艦として、軍艦奉行木村摂津守(せっつのかみ)を指揮官として派遣され、その中には、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎などが乗り組んでいました。

図:咸臨丸難航図(木村家所蔵・横浜開港資料館保管)安政7年1月19日(1860年2月10日)に浦賀港を出港した咸臨丸は、37日間の航海の後、サンフランシスコの湾頭に最初の日の丸をひるがえしました。

「咸臨丸出港の碑」は、咸臨丸がわが国の軍艦として初めて太平洋を横断した壮挙をたたえ、昭和35(1960)年に日米修好通商100年記念行事として建立されたもので、太平洋を隔てたサンフランシスコ市には、「咸臨丸入港の碑」が建立されています。

 

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページは分かりやすかったですか?

このページは役に立ちましたか?