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更新日:2017年2月27日

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9.法幢寺(円城山宝珠院・浄土宗鎮西派)

 

(法幢寺)

東浦賀の海を見下ろす高台にあります。
明応2年(1493)に、大本山鎌倉光明寺の観誉祐崇上人によって開かれたお寺です。上人は、光明寺で勅願所の綸旨(天皇のことば)により、お十夜法要を始めた人で、光明寺の中興の祖といわれています。従って、法幢寺のお十夜法要は、他の浄土宗のお寺よりも盛大に行われたのも当然のことです。
本堂には、恵信僧都(942~1017:往生要集を著し浄土教の基礎を築いた)の作といわれる、阿弥陀三尊像が安置されています。像の高さは約1mほどあり、浦賀地域では最大のものです。
また、古い記録には、法幢寺の裏山の中腹に薬師堂があったとされていますが、現在、薬師如来は、眷属(付き従うもの)の十二神将とともに本堂に安置されています。
東林寺の境内にある三浦稲荷社の裏から、法幢寺にかけて石垣があります。この石垣の下辺りを按針屋敷と呼びます。この山腹を記した古い記録に、「按針の勧請せしと言ふ社宮司と言ふ小祠(小さな祠)あり如何なる神を崇めしにや」とあり、江戸時代に浦賀の町に存在した、キリスト教フランシスコ会の教会を暗示させます。この社宮司は、法幢寺の墓地から東林寺へ抜ける坂道の途中に、石が積まれて、祠の台として数段の石段が残っています。これが教会であったかどうかは別としても、徳川家康が、浦賀を海外貿易の拠点にすべく、三浦按針(ウイリアム・アダムス)に検分させた頃の遺跡として考えてみる必要はあるでしょう。
山号の円城山は、この辺りが浦賀城の一廓であったことを物語るものです。浦賀城は、永正15年(1518)に三浦一族を破り、三浦の地を領した後北条氏が、対岸房州の里見氏に対する備えとして築いた城です。
庫裡の脇に小さな墓地があります。ここは、関東大震災まで、西浦賀の常福寺の小庵としての玉泉院があった所です。玉泉院は、代々、東浦賀の名主や年寄役を歴任した石井三郎兵衛が、信心から、自分の土地に庵を建てたものです。この石井家に残されていた多くの古文書は、江戸時代の東浦賀の歴史を学ぶための貴重な資料となっています。

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