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更新日:2017年2月27日

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1.能満寺(鴨居山・曹洞宗)

 

能満寺

(能満寺)

虚空蔵菩薩

(虚空蔵菩薩)

西徳寺から海側に出て右の道を行くと能満寺の入り口があります。
能満寺は、弥生時代中期(前100頃)から古墳時代後期まで(500頃)約600年間、大きな集落が存在した「上の台」を背にし、鴨居の港や東京湾、房総まで一望できる高台に建っています。このお寺は明応6年(1497)の創建といわれます。
徳川家康が江戸に入って、三浦半島が幕府の直接の支配地(天領)となり、長谷川七左衛門長綱が代官頭として浦賀に赴任したときに、曹洞宗に改宗し現在に至っています。
本尊は虚空蔵菩薩で、知恵と力の仏様で、右手に剣、左手に宝珠を持った高さ50cm程の座像です。この仏像の胎内(身体の中)には銘文があり、応永6年(1399)願主は松雲庵とあり、行基の作と伝えられます。
このお寺の創建より古く、宗風彫刻の特色も認められ、大変貴重なもので、横須賀市の文化財に指定されています。
虚空蔵菩薩は、丑・寅年の人の守り本尊で、13日が縁日ですが、特に13歳の3月13日(現在は4月13日)には、盛装した少年少女が「福徳・知恵」を授かるよう詣でる習慣があり、これを「十三参」と言います。
この付近ではあまり行われませんが、東京や横浜あたりから「十三参」に来る人があるそうです。
このお寺にも会津藩士の墓10基と川越藩士の墓1基があります。

-薬師堂-

境内の一段高くなった左手に薬師堂があります。
ここには、多光薬師如来像が安置されています。薬師様のご開帳(扉を開いて仏様のお姿を拝見すること)は、33年に一度です。
この多光薬師は、地元では「蛸薬師」と呼ばれ、眼病の厄除や豊漁祈願など、古くから信仰を集めていました。
参詣するときには「おんろころころせんたくば」という真言を唱えると、心眼が開くといわれています。昔は眼の病気が大変多かったのでしょう。
ひらがなの「め」の字とその鏡文字を十文銭で形どった額が奉納されています。地元の人は、この薬師堂は、「なかんべえ」で造られたといいます。
「なかんべえ」とは、「今日一日、漁がなかったことにして、その収入をそっくり寄付してしまおう」ということだそうです。
『相中留恩記畧』によると、天正19年(1591)に、三浦半島の20数寺社中の一つとして、堂領2石の御朱印(豊臣秀吉や徳川将軍などの朱印のある昔の許可証)を賜ったと記されています。

-木食観正-

薬師堂の左脇に「木食観正」の石塔があります。
台座に「世話人講中文政三年(1820)」とあります。
観正は木食僧として小田原を中心に各地の寺を回り、加持祈祷を行い民衆の悩みを和らげました。木食僧というのは、米や野菜を絶ち、木の実や果実を食べて修行します。文化・文政年間にこの思想が流行しました。
三浦半島を行脚したは木食僧は、観正のほかに徳本、願海、最賢などがいて、ゆかりの寺に供養塔が残されています。

 

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