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更新日:2017年2月27日

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ペリーの黒船

ペリー提督

(ペリー提督)

黒船とは、室町時代末期から江戸時代末期にかけて、わが国を来訪した欧米諸国の艦船の総称で、その船体が黒色に塗ってあったことに由来します。
特に、鎖国時代の大型外国船を意味するようになり、主な黒船来航としては、以下のようなものがあります。

  1. 天保8年(1837)
    アメリカ商船モリソン号が通商を目的に浦賀港へ来航
  2. 弘化3年(1846)
    米国東インド艦隊司令長官ビットルが率いる軍艦2隻(乗組員1,000名、砲門107)が浦賀に入港、通商を求めるが果たせず。
  3. 嘉永6年(1853)
    米国東インド艦隊司令長官ペリーが率いる蒸気船サスケハナ号、ミッシシッピー号、帆船プリマス号、サラトガ号の黒船艦隊4隻が大西洋・インド洋航路で浦賀沖へ来航し、浦賀(現在の久里浜)に上陸。
    ペリーはアメリカ大統領の親書を携え、日本に開国を迫り、大砲(空砲)で脅しをかけながら、翌年に日米和親条約を締結させました。
    日本は長い鎖国から、一気に開国へと向かいます。
    「泰平のねむりをさます上喜撰たった四はいで、夜も眠られず」と狂歌にも謳われたペリーが率いる黒船は、黒船の代表的なものとなりました。

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