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更新日:2017年2月27日

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6.常福寺(放光山延寿院・浄土宗鎮西派)

常福寺

(常福寺)

常福寺の庭園

(常福寺の庭園)

東福寺の山門から臨むと、正面の山の中腹にあるのが常福寺です。文明年間(1469~1486)に創建され、浦賀に奉行所が移されてからは、浦賀における本陣(御用寺院)の役割をしていました。そのため、奉行所に赴任する奉行も、離任する奉行も、一度は常福寺に立寄ることになっていました。このように格式をもった寺院であったので、境内もそれなりの格調をもっており、特に庫裏の庭園は、愛宕山を借景にし、四季おりおりの花も配された築山泉水庭で、心をなごませてくれる景観です。
本堂にある「良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼尊霊位」と刻まれた位牌は、むし歯によく効くと評判を呼び、歯科医療の発達していない時代に、むし歯に悩む人々の信仰を集めました。位牌の主は、広島の福山藩主の若奥様かお姫さまと伝えられ、若くしてむし歯が原因で苦しんでおり、亡くなる前に「私が死んだあとお参りをしてくれたのなら、むし歯の苦しみを和らげてあげましょう」と遺言していったといいます。そこで、むし歯に苦しんでいる人がお参りし、治ったおりには、紅や櫛などをもって、お礼参りをすればよいと記されています。
本堂のとなりに建つ「閻魔堂」は、毎年1月16日と7月16日に開扉されます。戦前までは夜店が出るほど多くの参詣人があり、浦賀の年中行事のひとつでした。
また、この時にかけられた狩野常信が描いた「地獄極楽図」は寺宝となっています。
墓地には、奉行所の与力、佐々倉家と合原家の墓碑が並び、また、数奇な生涯を送った江戸屋半五郎(僧・深本)の墓碑もあります。
常福寺の入り口を土地の人たちは、「大門」と呼んでいます。江戸時代の初期に三浦半島を支配した代官・長谷川七左衛門長綱の屋敷や長屋(長屋の呼び名は稲荷信仰の講中に残っている)が、この一画にあったことから名づけられたものでしょう。一説には、この時に使用していた門が、浦賀から田戸の永島家に引き取られ、「赤門」と呼ばれているものだといわれます。

 

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