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更新日:2017年2月27日
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牙首びな(太田家所蔵) |
【開催期間:平成7年10月22日~11月5日】
浦賀は、浦賀奉行所の設置、黒船来航など華々しい歴史を経験しましたが、それ以前から港町として大いに繁栄してきており、当時の人々により独自の浦賀文化が形成されました。時代が移り変わった現在も、浦賀には当時を偲ぶことができる史跡や文化財が数多く残されており、また、祭りや郷土芸能などの民俗行事が伝承されています。
今回は、浦賀に伝わる民俗行事をテーマに展示や実演を行い、「ふるさと浦賀」の豊かな文化、歴史の再発見、再確認をしていただこうと開催しました。
1祭礼 浦賀地域の祭礼は、海と深いつながりをもっていました。祭礼は「船祭り」が中心でありましたが、その祭りも明治期には、姿を消してしまいました。鴨居地域では、現在でも神輿を船に乗せて海上を渡御し、さらに海に入るという祭りが残っています。 2ひな人形 浦賀に残る「ひな人形」は、江戸時代後期のもので比較的保存状態の良いものが多いです。なかでも西浦賀の太田家所蔵の「牙首(げくび)びな」は、頭と手足が象牙で作られている高価なもので、当時の浦賀の繁栄を象徴する作品です。 3疫病退散 医学が発達していない時代、病気、それも伝染病の恐怖は現代の私たちの想像を超えるものがあったと思います。 この時代の人が頼りにしたものは、神仏のご加護でした。伝染病のなかでも特に恐れられたのが「疱瘡」でした。疱瘡から逃れるため人々はさまざまな信仰をしました。西浦賀・浜町の為朝神社では、「疱瘡ばあさん」と称し、お供え餅の上を赤く塗り、疱瘡除けのお供えをしたり、東浦賀では、「猩々坊」という、想像上の動物「猩々」に「坊」の字をつけて擬人化し、「疱瘡除け」として祀りました。 4民族芸能 県の文化財に指定されている「虎踊り」は、西浦賀・浜町に伝承されているものです。「虎踊り」の原形は、浦賀奉行所が伊豆下田から移転してきた時、奉行所とともに浦賀に来た問屋衆が下田の「虎舞い」を持ち込んだものといわれ、そこへ近松門左衛門の「国性爺合戦」のストーリーを取り入れて、浦賀の「虎踊り」が完成したと伝えられています。 また、鴨居・脇方地区には「ひょっとこ」と「ばか」が主役を演じ、里神楽の面を用い、囃子、身振り手振りによって情景を表現する「とっぴきぴー踊り」が伝わっています。 |
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