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更新日:2017年2月27日
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享保びな(香山家所蔵) 古今びな「牙首びな」(太田家所蔵) ひな人形掛軸(杉山家所蔵) 五人ばやし(山本家所蔵) |
【開催期間:平成16年2月14日~2月29日】
江戸時代になるまでは貴族階級の行事であった「ひな遊び」が、江戸時代中期を過ぎる頃から「ひなまつり」として、一般家庭でも広く親しまれるようになりました。 今回の特別展は「ひなから見る浦賀の人々」をテーマに、当時の豪商が所有し、今に伝える『ひな人形』にスポットをあて、現存するひな人形やお食い初め、七五三、双六(すごろく)など子供の成長としきたりに関する物を数多く展示しました。 当時の浦賀の商人の暮らしぶりは大変豊かで、江戸に勝るとも劣らない位の経済活動が行われておりました。それに伴い、文化活動も現在の私たちの想像をはるかに上回るほど活発なものでありました。 最初に流行したひな人形は、大型の坐りびなである「享保びな」です。このひな人形は裕福な商人が好んで飾り、面長の顔に切れ長の目で、金襴や錦といった華やかな衣装をまとっています。男びなは腰に太刀、手には笏(しゃく)を携え、女びなは五衣や唐衣の装束で冠をつけ、檜扇を持っています。 安永期(1772年~1781年)になると江戸生まれの「古今びな」が現れました。この頃から「三人官女」「五人ばやし」や玩具、抱き人形なども一緒に飾られるようになっていきます。そのため、他の人形と区別するためにひな人形の中心に置く人形を「内裏びな」と呼ぶようになりました。「いい細工かおもてらてら舟の月」と川柳で詠まれているように、江戸の人形師・原舟月が頭を担当した人形は、浮世絵から抜き出たように磨き上げた美男美女であることが特徴になっています。衣装も享保びな同様、金襴、錦、さらには、綸子や黒綾が使われた大変豪華な物で、さらに、幕末近くになると、目にガラス玉や水晶などを入れ、より写実的になっていきます。 衣装はもちろんのこと、お道具類の精巧さ、美しい蒔絵など当時の職人が技を競い合い、火花を散らしてこしらえた豪華絢爛なひな人形を通して、浦賀の文化の高さを再認識し、さらに、それが子どもたちにも及んでいたことを展示物から感じられるのではないでしょうか。 |
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