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更新日:2017年2月27日
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弁財船 船鑑札 明治期の棚卸帳 宮井家所蔵の食器類 |
【開催期間:平成24年2月11日~2月19日】
かつての浦賀は、積荷の検査や集荷、運送、揚げ降ろしなどを行う廻船問屋が広く栄え、今日では想像できないほど繁栄していました。 それは、享保5年(1720年)に奉行所が下田から移されたことに始まります。浦賀に奉行所が開設されると、海上防備のため船番所が置かれ、江戸に出入りする船はすべて浦賀港に立ち寄り、乗組員と荷物の検査をすることになりました。それまでの浦賀は、東浦賀の干鰯問屋が繁栄しているにすぎませんでしたが、多くの商人が集まり、米穀、酒類、塩の問屋として店を張り、昼夜に亘って商いを行う相模国一の商業地として栄えました。 その繁栄は、江戸時代ほどではないにしても、明治時代に入ってもまだまだ続きましたが、時代とともに生活形態や運送手段が遷り変わり、現在では江戸期や明治期のような商人は浦賀には残っていません。そのような中で、唯一西浦賀紺屋町に9代、250年に亘り店を構え続けている旧萬屋(宮井)清左衛門家、通称「萬清」があります。 この「萬清」は、代々、酒、米、塩の問屋を営み、5代目清左衛門の時、数艘の廻船を所有し、西は北九州、北は仙台石巻までと、手広く商いを行っていました。昭和10年、7代目清一郎の時に問屋を廃業しましたが、それから80年近くの歳月が経過した現在も、旧萬屋(宮井)清左衛門家では未だかなり多くの生活文化財や資料が大切に保管されています。 今回の特別展では、萬屋清左衛門家を例にして廻船問屋での問屋、商売資料、生活用品などの一部を紹介し、往時の浦賀の繁栄ぶりを感じられるような展示を行いました。また、基調講演として、萬屋清左衛門の子孫、宮井新一氏の講演を行いました。 |
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