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更新日:2017年2月27日
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パンフレット 浦賀7丁目(一本家所蔵古地図) 相模湾(一本家所蔵古地図)
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〔開催日程:昭和60年10月11日~10月20日〕 今回は、古地図や村絵図を通して浦賀の山や川や道路などの変化、お店と呼ばれていた問屋、石垣に面影を残す浦賀奉行所、船の取締りをした船番所などを通じて浦賀で暮らす人々の考え方や意識について学ぶ企画を立てました。 まず、東浦賀で干鰯問屋・湯浅屋を営んでいた橋本家には、嘉永3年(1850年)の年号が入った新訂万国全図という世界地図があります。この世界地図により、ペリーの浦賀来航よりも早く外国に関心が持たれていたと推測することができます。 西浦賀の名主を務めていた一本家の浦賀の全景図や、中島清司(奉行所の与力として黒船に乗り込み折衝にあたった中島三郎助の父)の描いた浦賀の図があります。これらの資料には、港の大きさや番所・渡船場、お寺・お宮などのほか、浦賀駅から警察署の周辺が開発される前の姿、木戸の設置場所、今は使われていない当時の字名など、さまざまな事柄が盛り込まれています。 さらに、吉井の旧家、臼井家が所蔵する畳3枚分ほどの大絵図からは西浦賀の町並みの様子を知ることができます。 鴨居の高橋孝二さんや馬堀の根岸鈴子さん所有の明治時代の地籍図は、浦賀ドック(住友重機械工業(株)浦賀工場)が設置された場所に「築地古町・築地新町」という二つの町の存在を示しています。 こうした地図や絵図は、歴史の流れを具体的に示し、浦賀繁栄の足跡をたどるのに格好なタイムマシンと言うことができます。 |
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