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更新日:2017年2月27日
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湘南電鉄(現京急)浦賀駅(今) 湘南電鉄(現京急)浦賀駅(昔) 宮下(西浦賀)の通り(今) 宮下(西浦賀)の通り(昔) 鴨居海岸(今) 鴨居海岸(昔) |
〔開催日程:平成2年2月13日~2月28日〕
今回は、現在の写真と古い写真により「浦賀の今と昔」を比べ、この地域の生活と歴史をご理解いただこうと浦賀に関する写真を一堂に集めました。 嘉永6年(1853年)6月、ペリー提督率いる米国艦隊が来航して一躍スポットライトを浴びた浦賀は、幕末・明治・大正・昭和と大きな歴史の波を乗り越えてきました。 近年この浦賀における人々の生活は地域の開発にともない大幅な変化をし、現在では、宅地開発により首都圏へのベッドタウン化の傾向を示しています。そのため、是非浦賀の街並みや湊、鴨居の風景や学校などの写真から浦賀地域の変化を感じ取っていただきたいと思います。
〔展示写真の内容〕
〔左記写真について〕
1湘南電鉄(現京急)浦賀駅 この写真のガード部分は、終点である浦賀駅からの引込み線で、下り線から上り線への入替えのためのものです。現在ではガードも外され、駅から道をはさんで反対側に、ガードを支えていたコンクリート壁が残っています。 2宮下の通り この写真は大正末期の宮下町の街並みを撮ったもので、後方の山は愛宕山です。そのため、この道は今日仲通りと呼ばれていますが、写真撮影の当時は関東大震災以前なので、海岸の道はまだ無く、江戸時代に江戸より浦賀奉行所へ通じる往還道路でもあり、三浦半島一の繁華街でした。 3大正10年頃の鴨居海岸 右奥に桟橋が長く突き出ています。昔、浅野セメント株式会社が、この山を崩しとって岩を運び出し、セメントの材料にしたそうです。作業員が荷車に岩を積んで、この桟橋から船に積み込んだといわれています。今昔の感がある写真です。 |
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