更新日:2024年5月2日
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1853年、アメリカのペリー提督が4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本に開国をもたらした史実を顕彰する式典です。
令和6年度水師提督ペリー上陸記念式典は7月13日(土曜日)10時30分~11時10分に、ペリー公園(横須賀市久里浜7-14)にて開催予定です。
祝辞を述べられる在日米国大使館
海軍武官ジャック・マケクニー中佐
祝辞を述べられる外務省北米局
北米第一課播本幸子北米交流室長
式辞を述べる上地横須賀市長
アメリカ合衆国および日本の国歌を独唱する
市内小学校在学鈴木莉愛さん
海上自衛隊横須賀音楽隊
1853年7月8日、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官マシュー.C.ペリー提督は、フィルモア大統領から対日交渉の全権を与えられ、最新鋭の2隻の蒸気船サスケハナ号とミシシッピー号及び随伴の帆船2隻を率いて浦賀沖に来航しました。
ペリー提督は終始、携えてきた大統領の親書を「直接日本最高の役人に手渡す」ことを主張しました。幕府は、初めて目にする蒸気船の威容に驚き、ペリー提督の強い態度に屈して、7月14日、久里浜海岸に急ごしらえの応接所を設け、親書の受け取りに応じました。
ペリー提督一行はアメリカ合衆国大統領の親書を幕府側の代表、戸田伊豆守(とだいずのかみ)、井戸石見守(いどいわみのかみ)に手渡し、日米の友好と通商を求め港を開くよう要求しました。はじめはかたくなに鎖国政策を押し通そうとした幕府も、欧米の最新技術を目の当たりにし、時代の潮流には抗し切れず、ついに長い間の鎖国政策を転換して、翌1854年3月31日、再び来航したペリー提督との間で「日米和親条約(神奈川条約)」を結び、下田、箱館の2港を開港しました。
日本は世界に向けて自由通商貿易の第一歩を踏み出し、いわゆる「開国」を果たしました。その後の日本は明治維新を経て急速な近代化を成し遂げてゆきます。
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