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更新日:2019年11月1日

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市長の独り言(「広報よこすか」より)

「市長の独り言」は上地市長が率直な言葉で思いを語るコラムです。

Vol.12「英会話力」(令和元年11月号)

 市長の大切な仕事の一つに、米海軍司令官や姉妹都市などの日本人以外の方々とのお付き合いがある。ここで問題なのが言葉の壁。相手の話していることは大体分かるが、答えの言葉が英語ですぐに出てこない。通訳を介しての会話は、靴の底から足の裏を掻(か)いているようなもどかしさがある。その度に「もっと語学の練習をしよう!」と思うのだが、忙しさにかまけて思うように続かず、若い頃の不勉強を今更後悔しても始まらない。8月の米国視察時は、毎日が英語漬けだったのでさすがに落ち込んだが、女房に「いいじゃない!日本語は特級なんだから。」と慰められ、さらにへこむのだった。

Vol.11「体育の日」(令和元年10月号)

 私が幼い頃、「体育の日」という国民の祝日はなかった。昭和39年の東京オリンピック開催後、開会式が行われた10月10日に制定されたと記憶している。あの開会式は土曜日だったのだろうか?小学校5年生だった私は、昼頃「早く家に帰って開会式を見よう!」と家路を急ぐ時、何気なく見上げた雲一つない見事な青空!あの時のワクワク感と何とも言えない高揚感。今でも昨日のことのように思い出す。
 いよいよ来年、「東京2020大会」を迎えるが、子どもたちにとって、50年以上経っても記憶に残る大会になることを切に願う。

Vol.10「理想のおじいちゃん」(令和元年9月号)

もうすぐ敬老の日を迎えるが、私には「あんなおじいさんになりたいなぁ」と思う老人がいた。それは妻の父だった。義父は60歳の時に53歳の妻(義母)を癌(がん)で亡くし、以後1人暮らしだったが、亡くなるまでの9年間は私たち一家と同居していた。孫たちが顔を合わせる度に「おじいちゃん、調子どう?」と聞くと、返事は決まって「絶好調!」。時には気分が優れない日や体調の悪い日もあったと思うが、愚痴や弱音は聞いたことがない。そして、誰に何をしてもらっても「ありがとう」と必ず言う。義父が亡くなった時、お世話になったヘルパーさんが「あんなにありがとうと言う人は、見たことがない。」と涙したが、本当に自然に「ありがとう」という言葉をよく口にした人だった。10年以上前に亡くなったが、今でも時々、思い出す。

Vol.9「ハマスタの思い出」(令和元年8月号)

先日、久しぶりに夫婦でベイスターズ戦を観戦してきた。
思えば、夫婦でハマスタに行くのは長男の高校時代最後の夏の大会準決勝(涙のサヨナラ負け)以来だった。
球場に着くと、内野席最前列で青空のもと、最高の野球観戦!のはずだった。ところがしばらくすると、友人や知人からのメールなどがピコピコ鳴り始め、「テレビに映ってるよ!」と。妻と顔を見合わせ、「はぁ?」。
慌ててテレビカメラを探すと、反対側ベンチの横にあるカメラが左打者の顔をアップ撮りしていて、スタンド最前列の私たちも映ってしまっていたのだ。それ以後、右打者のときはリラックス、左打者になるとテレビ映りを気にして背筋を伸ばして応援するという、何とも落ち着かない観戦となったが、確かベイスターズが勝ったと思う。

Vol.8「高齢ドライバー」(令和元年7月号)

昨今、高齢ドライバーによる交通事故が多発し、大きな社会問題となっている。実は、私の父も85歳を過ぎるまで運転しており、危険極まりない状態だった。ウィンカーを出せば、他の車が譲るのは当たり前のような危険運転で、車体も傷だらけなのに、自分は運転が上手いと自負していた。今に大変な事故につながるのではないか?と家族は常にハラハラしていたが、周囲の説得に耳を貸すような性格ではない頑固親父だったため、皆で一計を案じた。孫(私の次男)が車を借り、そのまま廃車。親父には、事故を起こして廃車にしたと説明。烈火の如く怒った親父だったが、新車を買う事もなく、渋々運転免許証を返納したのだった。
各家庭で事情があるのだろうが、この問題の解決に向けた対策が急がれる。

Vol.7「イクメン」(令和元年6月号)

最近よく聞く「イクメン」という言葉に違和感があるのは、私だけだろうか?
子どもが生まれれば、夫婦二人(両親)で育児をすることは、ごく自然で当たり前のことなのに、あえて男親の育児参加を言葉にする必要があるのだろうか?私自身を振り返ると、共稼ぎの生活だったため、当然のようにオムツ替えや保育園の送迎をした。毎朝、着替えや食事をさせて保育園へ連れて行くことは、大変だったが嫌々やった記憶がない。むしろ、日々の成長を肌で感じることができ、その頃、何をしても上手くいかなかった自分には、ある種の救いだったのかもしれない。
今、そうやって育てた息子たちに子どもができ、進んで育児をしている彼らの姿を見ると、ほほ笑ましくもあり、うらやましさすら感じるのである。

Vol.6「横須賀市歌」(令和元年5月号)

「白波は、白波は~」で始まる市歌を、私は小学生の頃から歌っていたような気がしていたが、1967年制定とのこと。私は、既に中学生になっていた。人間の記憶というのは曖昧なものだ。その時代の子どもたちは、慣れ親しんだ市歌だが、その後、歌う機会が少なくなり、市民と疎遠になってしまったようだ。市職員の中にも、「知らない」という者がいると聞き、がくぜんとした。市民としてのアイデンティティーは、まず市歌より・・と思い、昨年より、いろいろな機会を通じて届けることとした。平成時代に疎遠になってしまったが、堀口先生により描かれた、自然、歴史、そして壮大なロマンを、團先生によるはつらつとしたスケールの大きい響きに乗せた詩情溢れるこの市歌を、令和時代には、市民の皆さんに、是非親しんで頂きたい。

Vol.5「ボヘミアン・ラプソディ」(平成31年3月号)

年明けに、念願の「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行けた。赤裸々とも言えるストーリー展開と、何よりその音楽性に自称「ロッカー」の私は、魂を揺さぶられた。
思えば、学生時代から大の映画ファンで、多い時は月に20本以上見て来た私だが、市長に就任以来、映画館に一度も行けていなかった。市議時代は、議会の合間に、ふらっと映画館に行っていた事が、今では懐かしい。その「ふらっと」行っていた映画館も店舗改修工事で、今春よりしばらくの閉館を余儀なくされるという。つまり、三浦半島から映画館が全く消えてしまう訳だ。映画は時代を映す鏡であり、時に未来への予言や警告も意図するノンフィクションであると思っている。
家族皆で、映画を身近に楽しめるような街にしたいものだ。

Vol.4「ゆく河の流れは絶えずして…」(平成31年2月号)

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
日本初の災害文学と評価を受ける、方丈記の始まりだ。
この世の無常観を美しい文体で語っている古典の名著で、夏目漱石や、アニメの巨匠・宮崎駿監督にも大きな影響を与えたと言われているが、若い頃は何て虚しい救いのない本と敬遠していた。この正月に久しぶりに読み返してみると、齢を重ねた今、「これは災害や挫折など様々な苦難の連続である人生への応援歌だ。」と新たな感慨を持つに至った。
鴨長明の時代とは違い、「災害は忘れない頃にまたやってくる」時代になってしまった。平穏は祈るしかないのだが、行政の長として人事を尽くす決意をあらためて固めた。

Vol.3「怪物親父」(平成30年12月号)

「がらがら~」「きたきた、またおっかない親父が…」「ばしっ、ばしっ」「いてえ」「貴様、しっかり授業聞け」
小学校時代、親父は週2・3回、授業中、勝手に参観、態度の悪い同級生の頭を片っ端から殴っていた。先生も怖くて何も言えず「お、お世話様です。」
この親父が登場するたび、教室の隅で、小さくなっている私だった。
93歳まで生きたこの独善頑固親父とは最後まで折り合いがつかなかったが、少々やりすぎとは言え、今思えば、地域で子供を育てる原型だったのかもしれない。
この恐るべき親父は、どうも我が息子たちの時代にも同じようなことをやっていたらしい。逝ってなお恐ろしい親父である。

Vol.2「お役所仕事」(平成30年11月号)

お役所仕事というと、一般的には不親切で非能率的な仕事の代名詞として、決して褒められた言葉ではなく、私自身も大嫌いな言葉だった。しかし、今、そのお役所仕事をする横須賀市の長となり、1年が経つ。「良いお役所仕事」とは、どのようなものか?そしてそれを体現してもらうには、職員にどのように働きかけたらよいのか?とりあえず、口を酸っぱくして言っているのは、日々の仕事を遂行する上で「出来ない理由を言う前に出来る理由を考えろ」。
民間企業では当たり前のことだと思うが、少しずつ意識改革を推し進め、「横須賀市役所は、お役所仕事っぽくないね!」と、市民の皆さんに感じて頂ける日が来ることを期待したい。

Vol.1「草となれ」(平成30年10月号)

今から40年以上前、早稲田大学の卒業式での村井総長の言葉、「早稲田人たる者、富貴や栄達を求める事なかれ。地域に帰って「草」となり社会の為に励め。」この言葉に感銘を受け涙。
勉学はほとんどせず、「新自由クラブ」という保守新党の理念に共鳴し、選挙運動に明け暮れていた私には、この言葉が福音となり、田川誠一先生の門を叩き、弟子として薫陶を受けることとなる。
秘書1日目、「君、人間は肩書きや職業ではない。田川の秘書という肩書きではなく、上地君ならば、と誰もが信頼を寄せる人間になりたまえ。」という清貧で実直な言葉に強く傾倒。
今でも「草」としての使命を日々感じている。

お問い合わせ

市長室秘書課
横須賀市小川町11番地 本館1号館3階 <郵便物:「〒238-8550 秘書課」で届きます>
電話番号:046-822-8118
ファクス:046-824-2610

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