閉じる

更新日:2017年2月20日

ページID:3533

ここから本文です。

砂村新左衛門墓

 安山岩製の尖頭方柱形の墓で、花立及び小盤を上面に彫り付けた台石上に立てられています。
正面に「法名真悦 不納位 法名妙忍 禅定尼」と、右側面に「寛文七年未十二月十五日」と新左衛門の没年と、左側面に「萬治三季子七月廿七日」と妻女の没年が刻まれています。
 砂村新左衛門は越前国砂畑(福井県鯖江市)の出身といわれ(越前藩『御家御代々記』)、横浜の野毛新田(後の吉田新田)の開発に関係し、その経験をもって内川新田の開発(完成当初高360石余、のち585石余)を行いました。後に江戸宝六島(東京都江東区砂町)も開発しました。
 砂村新左衛門は本市内における最大の新田工事である内川新田を、万治3年(1660)から寛文7年(1667)までの8か年を費やして完成させました。久里浜の夫婦橋袂(たもと)にある内川新田開発記念碑には、新田開発にあたり水門がしばしばこわれ、8か年の苦労と神仏の加護により、ようやく完成したと刻まれています。この記念碑は、昭和43年(1968)5月に本市指定史跡となりました。
 毎年12月に久里浜観光協会により砂村新左衛門祭りが催され、記念碑前で式典、墓前で法要がそれぞれ行われています。

(JR「久里浜」・京急「京急久里浜」-徒歩10分)

砂村新左衛門墓

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページは分かりやすかったですか?

このページは役に立ちましたか?