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更新日:2022年2月22日
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港は、貨物船やフェリー、客船などさまざまな船で、たくさんの荷物や人が行きかう駅のようなものです。 |
荷物を港へ運びます |
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岸壁は、港に着いた船から人の乗り下りや荷物の積み下ろしをする場所です。岸壁の深さは、新港1,2号岸壁で、海面から10メートル(3階建ての建物)くらいあります。岸壁をつくるときは、利用する船の大きさや数、荷物の重さや量が、最大どれくらいなのかを調べて計画をたてます。 |
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![]() 日本では、ふだんの生活に関わる品物の多くが、海外からの輸入品です。たとえば、私たちが1年間のうちに食べる食べ物の量の約60%は海外から輸入されたものです。また、ふだん使っている電気などのもとになる石油や、世界でも有名な日本の車に使われている鉄もほとんど輸入しています。 テレビの約70%は海外にある日本の会社で作られたものを輸入しています。このように私たちの暮らしに必要な品物の大半は、海外から輸入しています。 古くから港は世界の貿易において、大きな役割を果たしてきました。周りを海で囲まれ、生活に必要な物のほとんどを海外から輸入している日本にとって、「港」はなくてはならないものなのです。工場で使う材料や大型機械などの重い荷物は、船で運んでいます。 港は、農水産品、セメント、砂利、砂、工業製品などいろいろな荷物を運ぶのに利用されています。 横須賀港は、東京湾の入口付近にあるため、東京湾の奥まで行かずに荷物の積み下ろしができるので便利です。また、海辺で遊べる「海辺つり公園」や「うみかぜ公園」があります。友達とみんなでぜひ、遊びに来て下さい。これからも、世界の国々と仲良くして、人や荷物が行ったり来たりする活気のあるまちになるように、横須賀港が立派に成長して、みんなの役に立つような「港」づくりを進めていきます。 |
港から港へ船で運びます |
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![]() みんなが住んでいる横須賀市の中には、長浦港、新港、平成港、久里浜港など、たくさんの港がありますが、これら全体は、北は横浜市との境の夏島から南は、野比海岸までを横須賀港と呼んでいます。 横須賀市は、横須賀港を一つの港として管理をしています。 |
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![]() 横須賀港は、今から約135年前の慶応元年(1865年)徳川幕府の勘定奉行であった小栗上野介忠順とフランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーが横須賀村に製鉄所の建設を開始した時が始まりです。昭和20年(1945年)の太平洋戦争が終わるまで、海軍造船所として発展を続け、その後は米海軍横須賀基地となりました。基地以外の港は、昭和26年(1951年))、国内の産業の開発上特に重要な港となり、昭和28年(1953年)には横須賀市が港を管理する事になりました。令和3年(2021年)4月1日現在、全国で993ある港のうち横須賀港のように重要な港は102港あります。また、そのうち市町村が管理している港は、横須賀港を含め16港あります。 横須賀港は、追浜から野比までの海岸線は延長約61,000メートル、海面の面積は、約55,250,000平方メートルの広さがあります。令和2年(2020年)には、年間約750万トンの貨物を取り扱っています。市内には、自動車製造、造船、火力発電所、各種研究所等の産業の中心となっているほか、自動車の輸出や冷凍マグロの輸入等の物流の中心、北九州や房総半島を結ぶフェリーによる客船輸送の中心となっています。 |
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1.荷物を港へ運びます |
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2.トラックから船へ積み込みます |
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3.港から港へ船で運びます |
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4.港で船からトラックへのせかえます |
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5.港から市場や工場、 |
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