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更新日:2022年10月3日

ページID:4059

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横須賀の中の会津関連史跡

衣笠周辺

1.満願寺(佐原十郎義連の墓)

三浦大介義明の末子・佐原十郎義連の開基。本堂左手の石段上の観音堂の右手奥の墓は佐原十郎義連のものといわれています。
本堂右手の収蔵庫にはかつて本寺の観音堂に納められていた観音菩薩像・地蔵菩薩像(いずれも国の重要文化財)、毘沙門天、不動明王の4体が安置されています。この一帯は佐原氏ゆかりの地でもあります。

 

 

 

2.佐原城跡

佐原十郎義連の城と伝えられています。「佐原十郎義連城跡」「明治26年9月8日佐原里民建之」と刻まれた自然石の碑があります。

 

 

 

 

 

 

3.衣笠城跡

桓武平氏の村岡為通が、康平年間(1058~65)に築いたのが始まりといわれています。
為通は、前九年合戦(1051~62)に源頼義に従い、軍功の恩賞として三浦郡を与えられ三浦氏を名乗りました。
現在も、大手口や搦手(からめて)口の地形がかなり残っています。

 

 

 

 

 

4.満昌寺

治承4年(1180)、衣笠城の合戦で戦死した三浦大介(おおすけ)義明の菩提を弔うため建久5年(1194)に源頼朝が建立しました。本堂左の裏山の御霊神社には国の重要文化財に指定されている三浦義明坐像が祀られています。

 

 

 

 

 

鴨居周辺

5.円照寺

日海上人により応永の頃(1400年頃)開かれたと伝わっています。
境内には会津藩士の家族や川越藩士の墓があります。平成23年3月10日に会津藩士と家族の墓碑6基を市の重要文化財に指定しました。

 

 

 

 

 

6.能満寺

明応6年(1497)の創建で、慶長14年(1614)曹洞宗に改宗。
境内には会津藩士の墓や木食観正の石塔があります。

 

 

 

 

 

7.西徳寺

永禄3年(1560)順性上人が当地へ巡礼し、近隣の4ヶ寺を併合し、寺号を現在のものにしたといわれています。
境内に和田義盛ゆかりの和田地蔵堂があり、山上には義盛が剃髪をした時の剃刀を埋めたと伝えられる剃刀塚があります。また少し離れた上の台中学校近くの墓地には会津藩士の墓があります。

 

 

 

8.会津藩士墓地(腰越)

斜面途中の平地になったところに10数基の会津藩士とその家族の墓があります。これらの墓は、文化8年(1811)から文政4年(1821)までの約10年間、会津藩が江戸湾防備の任に就いていた頃に亡くなった藩士や家族のものです。当時、観音崎には、会津藩士の子弟を教育するための、養正館という藩校までありました。
現在横須賀市指定の史跡として市が管理しています。

 

 

 

会津と横須賀

横須賀に会津藩士のお墓があるのはなぜ?

お問い合わせ

市長室国際交流・基地政策課 担当:国際交流担当

横須賀市小川町11番地 本館1号館3階<郵便物:「〒238-8550 国際交流・基地政策課」で届きます>

電話番号:046-822-8138

ファクス:046-827-8878

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