総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 国史跡東京湾要塞跡 > 東京湾要塞跡(猿島砲台跡)
更新日:2023年6月19日
ページID:50761
ここから本文です。
国史跡(指定年月日:平成27年(2015年)3月10日)
日本の要塞は明治13年(1880年)に東京湾要塞が起工し、昭和16年(1941年)9月に一部施設の竣工をみた宗谷要塞まで22カ所の要塞と日中戦争次いで太平洋戦争の開戦後に建設された北千島要塞など5カ所の臨時要塞がある。
東京湾要塞は明治10年代から建設が始まった唯一の要塞である。東京湾要塞に包括される砲台は、明治年間に建設された東京湾内湾の湾口部に位置する砲台群と、大正~昭和年間に建設された東京湾外湾と相模湾に面した砲台群に大別される。
猿島砲台は、陸軍が建設した東京湾要塞に属する沿岸砲台で、明治14年(1881年)11月5日に起工し、明治17年(1884年)6月30日に竣工した。日本近代築城史の上で最も初期に建設された砲台のひとつである。第一砲台が27cm加農砲2砲座2門、第二砲台が24cm加農砲4砲座4門などが備砲された。猿島砲台は、東京湾内湾への敵艦船の侵入阻止、併せて横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠の存在する横須賀・長浦両軍港の防御を任務とした。
弾薬庫等の煉瓦建造物に採用された組積法はフランス積(フランドル積)で全国的に見ても希少である。また、建造物の規模の大きさとしては国内で類を見ない。また、砲台主体部竣工後に増設された観測所、電灯所などの煉瓦組積法はオランダ積が採用され、一つの遺跡で異なる煉瓦組積法を観察することができる。使用された煉瓦は、前者は維新直後に困窮する士族授産のために設立された東洋組、後者は囚人労働として焼成された小菅集治監の製品が採用されるなど、各時期の時代背景を反映している。
猿島砲台跡は猿島公園内に位置するため、入園に関する情報は以下のホームページをご確認ください。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください