更新日:2025年2月21日
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咸臨丸フェスティバル式典は、1860年に我が国の軍艦として初の太平洋横断に成功した咸臨丸とその乗組員の偉業をたたえる式典です。
令和7年度は、4月26日(土曜日)に浦賀コミュニティ広場にて、11時から開催します。
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国歌演奏 | 横須賀市長 | |
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駐日オランダ王国大使代理 |
駐日米国大使代理 |
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外務大臣代理 貝原 健太郎様 |
海上自衛隊横須賀音楽隊の演奏 | |
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ポップサーカスのショー |
咸臨丸は、海軍創設のため徳川幕府が、オランダ政府に注文して同国キンデルダイクで建造され、近くのヘルフートスライスのオランダ海軍工廠(軍港)での艤装(ぎそう)を経て、1857年3月26日に出発し、同年9月21日、長崎に到着しました。その後、長崎に設けられていた海軍伝習所の練習艦として活躍し、1860年、日米修好通商条約批准書交換のため渡米する幕府遣米使節の護衛随伴艦として、軍艦奉行木村摂津守、艦長格勝麟太郎のもとに、日本軍艦初の太平洋横断に成功しました。(サンフランシスコに到着)
咸臨丸は、戊辰戦争の最中、清水港で薩長軍の攻撃を受けて薩長軍の手に渡り、1869年、浦賀での修理後開拓使所管となり、北海道への官物輸送や開拓民の移民船として活躍しましたが、1871年11月2日に北海道木古内町サラキ岬沖で座礁し、その数日後に破船沈没しました。
船の規格は、長さ約48.8m、幅8.74m、砲12門、排水量は620トンで100馬力の蒸気エンジンを搭載したスクーナー型蒸気帆船でした。
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