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総合案内 > 市政情報 > 市の概要 > 横須賀市と基地 > 横須賀市の沿革と基地の現況

更新日:2023年2月28日

ページID:7170

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横須賀市の沿革と基地の現況

(1)横須賀市の沿革

横須賀市は、幕末の開国時、沿岸防備のための施設の建設及びフランス人技師ヴェルニーを招いて横須賀製鉄所の建設に着手したときに始まります。
本市は、明治40年2月15日市制施行以来、我が国最大の軍港都市として特異な発展を続けてきました。
しかしながら、昭和20年の終戦により軍港という立市の基盤を完全に失うとともに、旧軍用財産は占領軍に全て接収され、市制施行以来、かつてない重大な岐路に立たされました。
その後、占領軍は徐々に接収を解除してきましたが、昭和25年「旧軍港市転換法」の制定をみ、その適用と市民のたゆまない努力によって、旧軍用財産は、産業、教育、そして公共施設へと逐次転活用され、平和産業港湾都市への転換が着実に進展されてきました。
さらに、本市は平成13年4月に中核市に移行し、さらなる迅速できめ細かな行政サービスの提供や独自のまちづくりを進めています。

(2)基地の現況

現在、市内に所在する防衛施設は、日米安全保障条約に基づく米軍関係施設は3施設(4か所)、面積約336万平方メートル(水域を除く)、市域(100.81k平方メートル)の約3.3%が提供されています。
また、自衛隊関係施設(宿泊施設を除く)は38施設(38か所)、面積約304万平方メートルが所在し、これを米軍関係施設と合わせると、約640万平方メートル、市域の約6.3%を占めています。
これらの施設の大部分は、本市の海岸線及び港湾地区の重要な部分や、産業、教育、公共施設用地に適する平坦地部分に位置しています。
昭和52年12月の日米合同委員会において、米海軍施設の一部が横須賀海軍施設内に集約移転されることにより、稲岡地区、海軍兵員クラブ及び長井住宅地区の返還が基本的に合意されました。
その後、稲岡地区については、昭和54年3月、海軍兵員クラブについては昭和54年7月、長井住宅地区については昭和56年7月にそれぞれの移設計画が具体化しました。
その後、前記3施設の代替施設が横須賀海軍施設内に建設され、稲岡地区については昭和57年1月29日、海軍兵員クラブについては昭和58年10月28日、長井住宅地区については昭和60年5月31日にそれぞれ日本政府に返還されました。

 

自衛隊関係施設(PDF:15KB)

 

 

(3)米軍施設の従業員数

米軍施設の従業員数(PDF:52KB)

 

 

 

お問い合わせ

市長室国際交流・基地政策課 担当:基地政策担当

横須賀市小川町11番地 本館1号館3階<郵便物:「〒238-8550 国際交流・基地政策課」で届きます>

電話番号:046-822-8140

ファクス:046-827-8878

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