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更新日:2017年2月27日

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浦賀・鴨居地域の字名

浦賀・鴨居地域には、芝生、荒巻、洲崎、蛇畑、川間、鴨居、腰越、三軒家など様々な字名がありました。現在は住居表示が実施されており、町名としてはあまり残っていませんが、これらの字名は町内会・自治会の名称として残っており、地元の人は今でも字名で地域を呼ぶことが多くあります。

洞井戸

(浦賀7丁目にある「洞井戸」の説明板)

洞井戸(地名の由来)

浦賀7丁目のこの辺り(浦賀コミュニティセンター分館・浦賀7丁目公園奥)を洞井戸(ぼらいど)と言います。「洞」は洞穴などと言うように崖の横腹をくり抜いたものと考えられます。「井」は水の集る(イルと読む)意味で、飲料水など用水をたたえていることを表します。「戸」は狭い場所を意味する語ですから、井戸と熟語にすれば水をたたえた狭い場所を表すわけです。山間に入り組んだ水の豊富な地域であったことが窺われます。近くの郷土資料館(浦賀コミュニティセンター分館(旧浦賀文化センター))では、常設展として浦賀奉行所、中島三郎助、鳳凰丸などの資料を展示しています。

設置場所:浦賀コミュニティセンター分館奥の階段脇(浦賀7丁目11番1号)

紺屋町

(西浦賀1丁目にある「紺屋町」の説明板)

紺屋町(地名の由来)

西浦賀1丁目のこの辺り(浦賀の渡しの西船着場周辺)を紺屋町と言います。日本では、昔から衣服の染料には紺色がよく使われてきました。明治の中頃に、西叶神社の宮司・感見宋之助が編集したと推定されている「浦賀中興雑記」によれば、小川善五郎と言う人がこの地で紺屋(染色業)を始めたことにこの町名は由来するとあります。この付近には、咸臨丸出航の碑や中島三郎助招魂碑などがある桜の名所・愛宕山公園があります。

設置場所:紺屋町内会館(西浦賀1丁目8番15号)

蛇畠

(西浦賀1丁目にある「蛇畠」の説明板)

蛇畠(地名の由来)

西浦賀1丁目のこの辺り(蛇畠町内会館)を蛇畠(じゃばたけ)と言います。昔は、現在の蛇畠の通りに並行して、愛宕山の麓までに畠(畑)がありました。幅が狭くて、長く続くその畑の形が蛇のようであったので、それに由来したものです。蛇がたくさん生息していたという意味ではありません。この付近には、江戸時代に浦賀奉行所の船番所があり、東西浦賀と下田の廻船問屋100軒余があり、船の荷改めの実務を担当していました。

設置場所:蛇畠町内会館(西浦賀1丁目9番9号)

浜町

(西浦賀4丁目にある「浜町」の説明板)

浜町(地名の由来)

西浦賀4丁目のこの辺り(為朝神社)を浜町と言います。文字通り、浦賀湾に面した磯浜の広がる地域であったことから付いた名称です。浜町は元は広い範囲を占める「川間」の一画でしたが、漁を業とする人々の集落として発展し、この名称になりました。この地に伝わる「虎おどり」は、奉行所が伊豆の下田から浦賀に移った時に一緒に移ってきた下田の廻船問屋の人々が演じたものと言われています。

設置場所:為朝神社(西浦賀4丁目3番7号)

川間

(西浦賀5丁目にある「川間」の説明板)

川間(地名の由来)

西浦賀5丁目から6丁目にかけてのこの辺り(川間町内会館)を川間と言います。「川間」は一般には名の示す通り川と川の間にある土地とされています。この地域については、現在の平作川周辺が埋め立てられていなかった頃の昔の大きな平作川と、浦賀湾が現在の田中の方までずっと入江になって川のように見えた、その両者の間の地であることに由来すると言われています。この川間の少し奥まった山際の地に、江戸時代の中頃から明治になるまで約150年間、浦賀奉行所がありました。奉行所の奥の山際には、川間の鎮守で、江戸時代の創建である榊神社大禄天があります。

設置場所:川間町内会館(西浦賀5丁目23番8号)

柳町

(西浦賀2丁目にある「柳町」の説明板)

柳町(地名の由来)

西浦賀2丁目のこの辺り(柳町町内会館)を柳町(やなぎちょう)と言います。戦後に発展した町です。浦賀港が漁港として栄えた頃に、この辺りは歓楽街となり、まちの風情を豊かにするため、部分的に柳が植えられ、そのまま町名になったと言われています。この付近には、浦賀奉行所が移ってきて以来、本陣の役割をした常福寺があり、代々の奉行の交代の儀式が行われていました。

設置場所:柳町町内会館(西浦賀2丁目19番33号)

田中

(西浦賀2丁目にある「田中」の説明板)

田中(地名の由来)

西浦賀2丁目のこの辺り(田中町内会館)を田中と言います。この地域の「田中」は、「干鰯田(ほしかだ)の中」を意味します。その昔、人家は常福寺の参道から高坂側にしかなく、常福寺の参道から海側は干潟になっていました。その後、東浦賀の干鰯問屋の力で埋め立てられ、鰯の干し場になったと言います。ここにも干鰯問屋の隆盛を見ることができます。この付近には東福寺、常福寺があります。

設置場所:田中町内会館(西浦賀2丁目3番16号)

吉井

(吉井2丁目にある「吉井」の説明板)

吉井(地名の由来)

吉井と言う地名は『新編相模国風土記稿』に「吉井は三浦七井(ぜい)の一つなり。今村民市郎左衛門が宅前にある井是なり。是地名の起これる所なり」とあり、三浦の良い水の一つに数えられる井戸に因むと言われています。三浦、横須賀には良い井戸があった村落の地名に、吉井、長井、津久井など「井」が付けられています。浦賀から吉井へ抜ける「浦賀道」は、江戸時代の面影を残す道で、幕府の御用林であった「御林(おはやし)」の高坂側の麓には『三浦古尋録』に見られる、日照りの年も枯れたことがないと言われる「天女水の碑」があります。吉井とは「よい水」の意でもあります。

設置場所:吉井町内会館(吉井2丁目7番54号)

洲崎

(東浦賀2丁目にある「洲崎」の説明板)

洲崎(地名の由来)

東浦賀2丁目のこの辺り(洲崎町内会館)を洲崎(すざき)と言います。その地形から分かるとおり、浦賀湾にふっくらと張り出した洲の先頭部と言うことに由来します。洲崎の山の手には、江戸時代初期に三浦按針(ウィリアム・アダムス)の屋敷があり、按針が勧請した社があったと記録されていますが、その場所は分かっていません。この近くの東叶神社の裏山は、戦国時代の1556年、三浦半島が房州の里見軍に攻められたため、北条氏康が築城したと言われる浦賀城があった所です。この城は、後北条氏時代の三浦半島水軍の根城でした。山頂は平坦で、東京湾と対岸の房総半島が一望できます。浦賀奉行所与力・中島三郎助と子の墓が東林寺にあります。

設置場所:洲崎町内会館(東浦賀2丁目11番20号)

鴨居

(鴨居3丁目にある「鴨居」の説明板)

鴨居(地名の由来)

応安6年(1373年)の室町幕府の記録に「相模国鴨江」とあります。地名の由来については、1アイヌ語のカムイ(神)からという説、2鴨の群集する所、家居、村落とする説、3カモを神とする説、4浦のある水辺とする説など、諸説があります。上の台中学校の敷地からは弥生時代中期から古墳時代初期にかけての大規模な住居跡がある上の台遺跡が発見されました。江戸時代には「鴨居のタイ」は逸品として知られ、江戸城の料理に用いられたと言われます。幕末期に江戸湾海防の任にあたった会津藩士の墓は、腰越、西徳寺、能満寺などにあります。

設置場所:鴨居八幡神社(鴨居3丁目5番5号)

腰越

(鴨居3丁目にある「腰越」の説明板)

腰越(地名の由来)

地名の由来については、鴨居港方面から観音寺(現在焼失)があった亀崎半島の麓(腰)を超えたところと言われます。腰越は、会津藩が文化8年(1811年)に江戸湾海防のために陣屋を置いた場所です。腰越陣屋の敷地は8,110坪余と記され、家老も常駐していたという記録があります。この陣屋には、子弟を教育する藩校の「養正館(ようせいかん)」もありました。陣屋は天保13年(1842年)に川越藩の所管となり、明治2年(1869年)に撤去されました。近くの三昧堂(さめど)と呼ばれる場所には、この時の会津藩士の墓碑が十数基あります。

設置場所:腰越町内会館(鴨居3丁目22番4号)

三軒家

(鴨居4丁目にある「三軒家」の説明板)

 

三軒家(地名の由来)

地名の由来については、かつて三軒しか家がなかったので「三軒家」と呼ばれていましたが、現在は「三軒谷」という表記に変わっています。観音崎公園一帯は、幕末期から江戸湾海防のために砲台が築造されはじめ、明治維新以降は所管は海軍省に、そして陸軍省に変わり、昭和20年(1945年)の終戦まで引き継がれてきました。明治14年(1881年)から要塞地帯となり、一般の立ち入りが禁止になりました。観音埼灯台の周りには、数多くの砲台跡があり、第一砲台から第四砲台のほか、南門砲台、大浦砲台などと共に「三軒家砲台」として名を残しています。火薬庫跡や頑丈な石組み、煉瓦造りの砲台の跡は、現在でも原形に近い形で残っています。

設置場所:三軒家公園(鴨居4丁目1320番地)

 

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浦賀・鴨居地域には、芝生、洲崎、蛇畑、川間など様々な字名がありました。現在は住居表示が実施されており、町名としては残っていませんが、これらの字名は町内会・自治会の名称として残っており、地元の人は今でも字名で地域を呼ぶことが多くあります。

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