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更新日:2016年12月20日

ページID:3954

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砲台山

砲台山A
明治新政府は東京湾防衛のため深田台地に砲台を新設、米ヶ浜砲台として明治24年、第1、第2砲台が竣工、海堡と共に我が国防衛の拠点として、太平洋戦争終結まで秘密のベールに包まれていた。日露戦争で旅順攻略に手を焼いた日本軍は明治37年砲台山にあった28サンチ榴弾砲6門を取り外して現地に送り、旅順港内の敵艦隊を壊滅させ、奉天会戦を容易ならしめて、陸戦勝利原因となった。大正12年以降は演習砲台となった。Bと共に昭和4年ごろの写真。

砲台山A

 

砲台山B
中央公園に続く南方の大地にあった方の砲台。

砲台山B

 

砲台撤去跡
砲台撤去跡に残った弾薬庫。前掲の砲台山Aの写真の中で、右の方にその一部が見える。

砲台撤去跡

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文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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