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更新日:2016年8月31日

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瀬戸口藤吉の墓

 


常光寺のしだれ桜の近くに「軍艦行進曲」の作曲者、瀬戸口藤吉の墓がある。瀬戸口藤吉は明治元年に薩摩国(鹿児島県)鹿児島郡小川町で生まれ、明治10年に横須賀へ来て、のちに東京の海軍軍楽隊に入ったが、明治23年軍楽隊が横須賀に移ったため、それ以来横須賀に住む。明治30年ごろ、横須賀海兵団にいたときに「軍艦行進曲」を作曲し、その後マーチの形の曲にしたのは明治33年で、その年の神戸観艦式のときに演奏された。「軍艦行進曲」は戦前、海軍のシンボルとしてなじまれた。
瀬戸口藤吉はその後、軍楽隊の向上に力をつくし、大正6年、35年間の軍楽隊生活に別れを告げ退官。退官後、東京音楽学校(現・東京藝術大学)講師などを務め、音楽の指導と作曲活動を続けていた。昭和12年、70歳で内閣情報部選定詩『愛国行進曲』の作曲に応募し1等当選し、百万枚の売り上げを記録した。昭和16年、74歳で亡くなった。

 

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