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更新日:2016年8月31日

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箱崎半島

箱崎半島は、はじめは漁と船の航行に便利な北部海岸から吾妻山の東のふもとの荒井海岸にかけて、漁業を営む民家が建てられた。江戸時代になり、東京湾を往来する船でにぎわうにつれて、ここも江戸航路の船着場になった。また箱崎の暗礁が危険で、航行する船の被害がひんぱんにあった。
明治7年横須賀に造船所がおかれ、さらに明治10年軍港に指定され、防備上の施設が各地につくられた。明治15年、箱崎は砲台建設のため陸軍に買い上げられた。明治22年吾妻山麓に堀割ができ、さらに明治33年に海軍に買収され、信号所や測候所がつくられたため、漁業を営んでいた民家は、海軍に土地を買い上げられ、やむなく田の浦地区などへ移転をした。
箱崎半島は明治から現在にいたるまで、旧海軍軍用地(貯油場)として立ち入ることが許されず、その間百数十年にわたり箱崎のようすはわかっていない。現在は米軍と自衛隊の管理のもとにある。

田浦町誌(昭和3年)によると安政年間に旭松閣吉隆が選んだといわれる「北郷八景」に、「箱崎夜雨」(箱崎や明けなばいかに夜もすがら雨の音そう岸の松風)と「吾妻晴嵐」(嵐ふく吾妻の峯に雲はれてとふねもなみの花ぞきにける)が入っている。

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