更新日:2016年8月31日
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大正に入り田浦地区の発展にともない、田浦・横須賀両地域の交通のため、十三峠の山越えにかわる便利な交通路が強く望まれていた。大正7年、相模川支流の半原からの海軍の水道施設として掘った田の浦と田浦を結ぶ水道路トンネルの通行が民間人に許可され、逗子~逸見の間の道が、せまいながらも通れるようになった。水道路トンネルは、素掘りで自動車の通行は困難であったが、人力車などの通行には支障がなかった。水道路トンネルの利用は、昭和3年の旧31号国道の開通までのわずか10年間であったが、当時は大変便利であったという。
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