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更新日:2016年8月31日

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吾妻社

長浦神明社から田の浦へ旧道をのぼると、山頂付近の右手に吾妻社がある。創建の時代はわかっていないが、祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)で、もと箱崎半島の吾妻山にあり、「吾妻権現」として多くの人から敬われていた。三浦古尋録、相模国風土記によると、吾妻権現の社は山上にあり、その松の木は海上を走る船の目印になったという。江戸時代にはこの社の支配は常光寺がつとめ、明治6年には村社となっている。また、「吾妻社余禄」によれば、本殿の四本柱には精巧な唐獅子の彫刻が1つずつ取り付けてあり、明治14,5年頃、横須賀軍港に入港したロシアの軍艦の乗員によってひそかに、奪い去られたと伝えられている。
明治32年吾妻山一帯が海軍用地として買収されたため、明治33年、現在地(長浦町5丁目)に遷し社殿を改築した。
敷地内に嘉永7年(1854)当時の氏子が奉納したひょうたん型の浄水盥や明治16年に立てられた「富士登山記念碑」がある。吾妻社のそばに嘉永5年(1852)に立てられた道祖神塔がある。鳥居は、元治元年(1864)に奉納されている。

吾妻社鳥居写真
浄水盥写真


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