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更新日:2021年8月17日

ページID:3881

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三浦一族研究

 三浦表紙

 本サイトは、わが国の歴史上初めて武家政治を築き上げた鎌倉幕府の創設に尽力し、その中で重要な役割を担って歴史を動かしてきた三浦一族に関する歴史を知るためのサイトです。

 横須賀市では、地域の歴史研究団体である三浦一族研究会に、三浦一族に関する研究を委託して、講座やシンポジウムなどのイベントを開催したり、研究誌や冊子を発行したりするなどの活動を行っています。

『鎌倉幕府と三浦一族』
 治承4年(1180)に源頼朝が伊豆で挙兵したとき、三浦氏の棟梁であった三浦大介(おおすけ)義明は、一族を上げて頼朝に加勢しました。しかし、平氏討伐に失敗した頼朝は、安房(千葉県)に向けて脱出します。
一方、三浦一族の本拠地である衣笠城では、平氏軍との間に「衣笠合戦」といわれる戦いが行われ、義明は討死してしまいます。
  この時、義明の子である義澄をはじめとする一族は、栗浜(久里浜)の港から安房に向かい、頼朝と合流します。その後、三浦一族は強力な援軍として、頼朝の勢力拡大と、これに続く鎌倉幕府の確立に力を尽しました。
平家追討、奥州合戦など、頼朝による国の統一に大きく貢献した三浦一族は幕府の要職に就き、武家政治の発展を支えていきます。
  その後も、義澄の子義村は承久の乱などで政治的手腕を発揮し、北条氏と肩を並べる勢力を持つようになりました。
  しかし義村の子泰村の代になると、着々と勢力を固めてきた北条氏との争いに破れ、三浦一族は壊滅的な打撃を受けることになります。これが世にいう宝治合戦(宝治元年(1247))です。

【たま藻のまえ】京都大学附属図書館所蔵
「たま藻のまえ」は「九尾の狐」の昔話として伝えられ、三浦介が重要な役割として登場する「玉藻前伝説」の絵巻物です。

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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