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更新日:2016年12月7日

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横須賀History~人物編

~日本の近代化のさきがけ・横須賀~


江戸時代、浦賀は干鰯問屋や廻船問屋が軒を連ねる港町として栄えました。そして、下田から浦賀に奉行所が移されると、江戸湾に出入りする海上運輸の監視拠点となります。さらに幕末、日本の近海に外国船が現れるようになると、浦賀奉行所は江戸湾の海防拠点としても重視されるようになりました。
浦賀奉行所の役人は、現代の自衛官兼外交官ともいうべき役割を持ち、世界事情に明るく優秀な人材が多く集まりました。そして嘉永6年(1853)ペリー率いる4隻の黒船が来航したときには、浦賀奉行所の人々が実務担当者としてペリー艦隊との直接対応にあたったのです。
浦賀奉行所の優秀な人材は、長崎海軍伝習所などに派遣され、さらに技術を吸収します。こうした人々の努力は、万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准のための随行艦として浦賀を出港した幕府軍艦咸臨丸の歴史的航海を無事に果たすという結果につながります。
慶応元年(1865)、日本最大級の造船施設である横須賀製鉄所の建設がはじまります。かつて浦賀奉行所で活躍した人々の中には、横須賀製鉄所へと活躍の舞台を移し、日本の近代工業技術の発展に大きな功績を残した人が多く存在しました。
明治維新後、横須賀製鉄所は新政府に引き継がれ、さらに発展を続けていきます。一方、明治17年(1884)、横浜にあった東海鎮守府が横須賀へ移されると、横須賀は海軍の軍事拠点となり、その後も多くの海軍施設が造られました。横須賀製鉄所は横須賀造船所、横須賀海軍工廠などと名称を変えながらさらに発展を続けます。特に日清戦争、日露戦争前後の技術革新は目覚ましいものがあり、横須賀は日本の近代化のさきがけともいうべき地となりました。ここでは、平成11年発行の冊子「横須賀人物往来」、「続・横須賀人物往来」の内容を中心として、この時代に活躍した人物を見ながら、横須賀の歴史を紹介していきます。

江戸~明治期編

香山栄左衛門 ペリー来航時に浦賀奉行を演じた男
中島三郎助 さまざまな技術に精通した気骨の人
佐々倉桐太郎 我が国海軍兵学の草分け
濱口英幹 軍艦一筋、晩年は花屋敷主人
岡田井蔵 咸臨丸の偉業に参加した士官
山本金次郎 日本の蒸気機関の大家
小川茂周 幕末~明治の横須賀のリーダー
金子堅太郎 近代日本の政治家明治憲法を起草
中牟田倉之助 初代横須賀鎮守府長官
東郷平八郎 日本海海戦勝利の立役者
瀬戸口藤吉 軍艦行進曲の作曲者


こんな人も・・・編

柴崎簾風 逆境から復活し、膏薬で家を再興
深本 ドラマチックな生涯を送った僧

 

~戦後の横須賀~

横須賀の再建に貢献された人物編

デッカー司令官 戦後復興期の米海軍横須賀基地司令官

 

 

 

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横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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