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更新日:2017年2月27日

ページID:2997

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4.会津藩士の墓

 

会津藩士の墓

(会津藩士の墓)

五霊神社からもとの道に戻って先に進むと、小さな川があります。この川の手前を左に入ると、京急ニュータウンの入口ですが、この付近が三昧堂といわれている所です。
三昧堂とは、墓所にある葬式用の堂を意味したり、死者の冥福を祈るための墓所近くの堂であったり、「法華三昧」とか「念仏三昧」といって、経をあげたりする堂を指すもので、もとこの場所にお堂があったのでしょう。
左に入った所に10数基の会津藩士とその家族の墓があります。
これらの墓は、文化8年(1811)から文政4年(1821)までの約10年間、会津藩が江戸を守るための海上防備のため、観音崎や腰越陣屋に滞在していたときに亡くなった藩士や家族のものです。
当時、観音崎には、会津藩士の子弟を教育するための、養正館という藩校まであったといわれています。
この墓所は、走水の円照寺から横須賀市が購入し管理しています。
この地の他に、走水の円照寺、鴨居の西徳寺、能満寺にも会津藩士の墓があります。

 

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