総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 横須賀市内の指定重要文化財等 > 国指定重要文化財等 > 三浦安針墓(みうらあんじんのはか)
更新日:2023年6月19日
ページID:3405
ここから本文です。
指定年月日:大正12年(1923年)3月7日
三浦安針は、1564年にイギリスのケント州ジリンガムに生まれ、本名をウイリアム・アダムズ(William Adams)という。(国による史跡指定は「安針」の字で受けている)
水先案内人としてオランダの会社に雇われてリーフデ号に乗り、1598年にオランダを出港した。マゼラン海峡を抜けて太平洋を横断し、1600年に現在の大分県臼杵市の佐志生に到着した。
アダムズは航海術、造船術、天文学にすぐれ、国際情勢にも明かるかったことから外交顧問として徳川家康に重用され、三浦郡逸見村に220石を与えられ三浦安針(按針)と呼ばれた。按針とは水先案内人のことである。他に江戸日本橋にも屋敷があり、屋敷周辺は按針町と呼ばれた。
アダムズは1620年に長崎県平戸で亡くなった。この宝筺印塔は埋葬墓ではなく供養塔と考えられ、アダムズの遺言により江戸を眺望するこの地に建てられたと伝わる。凝灰岩でできている右塔がアダムズの塔、安山岩でできている左塔が妻の塔である。
なお、逸見や日本橋按針町の人々によるアダムズの供養は現在も続けられ、逸見の浄土寺にはアダムズ所縁とされる品々が伝えられている。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください