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更新日:2018年8月13日

ページID:3789

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関東大震災と船越

「船越昔ばなし」に、大正12年9月の関東大震災当時のようすについて、何人かの船越の古老から聞いた話が書かれている。それによると、船越の仲通りの商店はのき並み階下がつぶれ、たがいに通り側に寄せ合うように倒れたので、下宿していた海軍工廠に勤める人達は、その上をかけ足で通り抜けて行ったそうだ。しかし、船越では火事はなかったらしい。地震直後に、船越にあった防備隊(現在の田浦中学校付近)の兵隊がメガホンで「津波がくるから避難しろ」と、危険を知らせながら町をどなり歩いていたという。
津波はこなかったが、吾妻山の重油タンクが火災を起こし、流れ出た油で湾一面が火の海となって重油のにおいと黒煙がただよい、夜は空が真っ赤になり、船越の人たちも不安で眠れない夜が何日も続いたという。
また、地震による水不足から、飲料水として海水が混じった井戸水を使い、衛生状態が悪かったことから、船越地区で伝染病(腸チブス、パラチブスなど)が発生し、地区内に隔離病舎が臨時に建てられたという。


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