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更新日:2018年8月13日

ページID:3793

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忠魂碑

大正5年、田浦町在郷軍人会は船越公園山頂に田浦町(浦郷・船越・田浦・長浦)出身の戦没者をたたえる忠魂碑を建設した。12インチの海軍砲を形どった砲身型の鉄筋コンクリート製だったが、大正12年の関東大震災によって破壊されてしまった。
震災後の昭和3年、38柱を合祀してもとあった位置に再建された。忠魂碑の字は陸軍大将一戸兵衛の筆になるもの。その後、昭和19年に軍港防衛のための機銃・機関砲の射撃の障害になるという軍の命令で、船越神社の裏山にたおされてしまった。
戦後になり、昭和30年創立された船越郷友会が中心となって再建された。この機会に満州事変から太平洋戦争までの船越・田浦・長浦出身の戦死者を加え、合計390柱を祀った。その後、宅地開発により船越神社境内に移転し、さらに平成14年、地元の船越郷友会により船越神社横の境内地に移築され土台などが改修された。
忠魂碑写真


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