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更新日:2018年8月13日

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栄光学園

アメリカ海軍第5艦隊司令官デッカー大佐は、日本海軍の基地であった横須賀を平和の基地とするために、キリスト教の学校を作りたいという希望を持ち、伝統的に教育に力を入れていたイエズス会に学校の設立を要請した。イエズス会ははじめは断っていたが、大佐やその他のカトリックの将校の熱意の前に設立を決意した。
こうして昭和22年、栄光中学が旧海軍工廠航海・光学・電池の各実験部のあった地に創立され、2クラス72人でスタートした。後に栄光学園となり、中・高校生が県内の各地から通学していた。初代校長はグスタフ・フォス氏。フォス神父はその著作で、はじめて横須賀の田浦を訪れた時のことを次のように記している。「そこは旧軍港に面し、周囲を山で囲まれた所で、番地もなく、かつては機密のヴェールに囲まれた旧海軍の施設跡であった。跡と言ったが、最初の印象を率直に述べれば、修羅の巷をしのばせる廃墟にほかならないものであった」
昭和39年に鎌倉市大船へ移転。跡地は、現在、海上自衛隊と関東自動車工業の技術センターに使われている。
なお、2002年ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏は、東大大学院生のとき、昭和25年から昭和27年まで臨時講師として栄光学園の中学生に物理を教えたという。
栄光学園写真


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