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更新日:2018年8月13日

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昔の船越商店街

旧海軍工廠造兵部(現在は東芝ライテック)は、創立当時工員数わずかに20名であったが、昭和10年代になると3万人を越すようになる。さらに近くの防備隊(現在の田浦中の位置にあった)、海軍水雷学校(関東自動車工業、海上自衛隊第2術科学校付近)、航空廠(追浜)や長浦軍需部などの大工場を加えると軍施設に勤める軍人と工員は、数万人に達していたという。それにともなって、船越の商店街も発展してきた。昭和8年頃の地図をみると戦前は、医院や料亭、銭湯、自転車屋などが多かったことがわかる。


大正10年頃の船越商店街
昭和8年頃の船越商店街


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