総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 横須賀市内の指定重要文化財等 > 横須賀市指定重要無形文化財・重要民俗文化財・史跡・天然記念物 > 燈明堂跡及び周辺地域(とうみょうどうあとおよびしゅうへんちいき)
更新日:2010年11月1日
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指定年月日:昭和43年(1968年)2月10日
燈明堂跡及び周辺地域は、江戸時代に浦賀港の入口、燈明崎に建っていた燈明堂の跡地である。
燈明堂は石垣を土台として、上に二階建ての建物があった。
階下は番人小屋で階上は四方を紙張障子とその上に金網をめぐらしてあった。
その中に直径36.4cm、深さ12.2cmの銅製の灯明皿が置かれ、一晩に灯心百筋とその菜種油一升(1.8リットル)が灯され、その光は四海里(7.2km)に達したという。
当初は勘定奉行の所管であったが、後に浦賀奉行に所管替えとなり明治になり神奈川府の所管となった。
経費は元禄3年(1690年)までは徳川幕府が賄っていたが、同4年からは東浦賀の干鰯問屋が一切を負担するようになった。
明治5年(1872年)4月に廃止になるまで、約220年間にわたって一日も休まず夜間の海上安全の守り役として活躍し、我が国の灯台史の上で極めて貴重なものである。
建物は明治20年代まで残っていたというが風雨で崩壊してしまい、高さ約1.8m、幅3.6m四方に組み合わされた「切り込みハギ石垣」だけが残された。
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