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更新日:2010年11月1日
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指定年月日:昭和48年(1973年)1月10日
三浦義明は、治承4年(1180年)源頼朝の旗上げに呼応し平氏側と合戦したが、8月27日に衣笠城で討ち死したといわれる。
墓域周囲の土塀は、寛延2年(1749年)に三浦志摩守等三浦同族の修理により、中に義明の墓といわれる宝篋印塔を中心に、右側に五輪塔、左側に板碑の三基が並び置かれている。
五輪塔は、総高70cmの凝灰岩製で鎌倉末期の型式をとる。水輪上部には納骨穴が穿たれ、空風輪は後補である。
宝篋印塔は、総高82.8cmの安山岩(伊豆石)製で、鎌倉末期~室町期の型式をとる。九輪と基台は後補である。
四面に金剛界四佛種子を彫る。新編相模国風土記稿に「五輪塔一基社の背後にあり、大介の首塚と言う。是を奥院と称す。」とあって、義明墓を五輪塔としているが、五輪塔が宝篋印塔にかわったのは誤記が不明である。
現在では宝篋印塔を義明、五輪塔を義明の妻、それぞれの供養塔と考えるのが一般的である。
板碑は、塔身高140cmの緑泥片岩(秩父石)製で、梵字(サ観世音菩薩の種子)及び銘文を刻字した薬研彫(断面がV字型の彫り)の力強さから鎌倉末期の作と考えられる。
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