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更新日:2010年11月1日

ページID:3487

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朝倉能登守室墓(あさくらのとのかみしつぼ)

朝倉能登守室墓

指定年月日:昭和45年(1970年)5月11日
朝倉能登守室墓は良心寺境内にある。

墓石形態は宝筺印塔で塔身総高約2m余、基礎正面「当寺建立、大旦主大慈院殿法誉良心大姉朝倉能登守奥天正十一年未六月十一日」の刻銘がみられるが、造立年代については塔形式の上から江戸初期建立と考えられる。
朝倉氏は戦国期小田原北条氏の家臣で、玉縄衆に属し、浦郷村追浜を初め、伊豆や上総にも所領を有する武将であり、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの折は、箱根の山中城を守った。
朝倉能登守景澄入道犬也がその人であると言われている。
この能登守が夫人の菩提を弔らう為、開基となって夫人の法号を寺号として良心寺を建立したと伝えられている。

お問い合わせ

教育委員会事務局教育総務部生涯学習課

横須賀市小川町11番地 本館1号館6階<郵便物:「〒238-8550 生涯学習課」で届きます>

電話番号:046-822-8484

ファクス:046-822-6849

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