総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 横須賀市内の指定重要文化財等 > 横須賀市指定重要無形文化財・重要民俗文化財・史跡・天然記念物 > 朝倉能登守室墓(あさくらのとのかみしつぼ)
更新日:2010年11月1日
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指定年月日:昭和45年(1970年)5月11日
朝倉能登守室墓は良心寺境内にある。
墓石形態は宝筺印塔で塔身総高約2m余、基礎正面「当寺建立、大旦主大慈院殿法誉良心大姉朝倉能登守奥天正十一年未六月十一日」の刻銘がみられるが、造立年代については塔形式の上から江戸初期建立と考えられる。
朝倉氏は戦国期小田原北条氏の家臣で、玉縄衆に属し、浦郷村追浜を初め、伊豆や上総にも所領を有する武将であり、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの折は、箱根の山中城を守った。
朝倉能登守景澄入道犬也がその人であると言われている。
この能登守が夫人の菩提を弔らう為、開基となって夫人の法号を寺号として良心寺を建立したと伝えられている。
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