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更新日:2017年2月27日
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咸臨丸 「咸臨丸の生涯」イベントポスター 特別展の様子 入港記念碑 (サンフランシスコリンカーン・パーク) |
【開催期間:平成22年2月6日~2月21日】
特別展を行った2010年は、咸臨丸が浦賀を出航してから150年目にあたる記念すべき節目の年でした。日米修好通商条約の批准書を取り交わすため、勝海舟、ジョン万次郎らを乗せ荒れ狂う太平洋に出港した咸臨丸は、37日間の荒波を乗り越え太平洋を渡り、日本に新しい時代を到来させました。 今回の特別展では、咸臨丸の壮挙や当時の浦賀の街並みについて思いを馳せ、伝統文化の保全と新しい文化の創造へのきっかけとなるような展示を行いました。 咸臨丸出港 ペリー来航後、軍艦の必要性を感じた幕府は、洋式軍艦「鳳凰丸」を浦賀で建造し、さらに本格的な海軍を造るべく、安政2年(1855年)長崎に「海軍伝習所」を開設しました。伝習所の1年生には勝海舟や咸臨丸が太平洋横断した時に航海長を務めた小野友五郎らがおり、浦賀奉行所からは中島三郎助や佐々倉桐太郎、浜口興右衛門、山本金次郎らが伝習生として選ばれました。これらのメンバーが幕府海軍を始動させ、ここから本格的な海軍の活動が始まりました。 こうした時期に日米修好通商条約が結ばれました。その批准書を交わすため、幕府の使節のアメリカ行きが決まりました。使節はアメリカ軍艦ポーハタン号に乗り組むことになりましたが、この使節に日本の船を随伴させる計画が持ち上がり、咸臨丸が派遣されることになりました。 安政7年(1860年)1月、咸臨丸はアメリカ海軍ブルック大尉ら数十名のアメリカ人とともに、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎など幕末から明治時代に活躍する人々と、浦賀奉行所の与力・同心4名を含めた日本人96名を乗せてアメリカへ旅立ちました。1月29日に浦賀を出航した咸臨丸は、途中冬の北太平洋で強烈な時化(しけ)に遭いながらも、2月26日に目的地のサンフランシスコに到着しました。そして、3月19日にサンフランシスコを離れハワイを経由し、5月5日に鯉のぼりたなびく快晴の浦賀へ無事に帰港しました。 往復16,665キロメートル余、143日の航海で、帰路は本当に日本人だけの航海でありました。 |
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