閉じる

更新日:2017年2月20日

ページID:3516

ここから本文です。

岩野泡鳴詩碑

碑文

田戸の海ぬし
田戸に山崎、また堀の内、
走り水にも、また大津にも、
春のうしほは朝ゆふ寄せて、
けむる霞の奥より見ゆる、
淡き猿島、島とは云へど、
田戸のおやぢが巣にこそ似たれ。

 岩野泡鳴は、明治6年(1873)1月に兵庫県淡路島の洲本町(現・洲本市)で生まれました。本名は美衛(よしえ)。筆名の泡鳴は、生地阿波(=泡)の鳴戸をもじったものです。島崎藤村、田山花袋、徳田秋声、正宗白鳥と並ぶ自然主義文学の五大作家の一人。同23年(1890)、国木田独歩らと「文壇」を創刊、これに新体詩を発表したり、与謝野鉄幹らの「明星」に参加して詩作と詩論に積極的な活動をするなど、詩人としてスタートしましたが、同39年(1906)処女小説『芸者小竹』を発表してから、次第に小説の数が多くなりました。
 岩野泡鳴は生涯に五冊の詩集を出しましたが、「田戸の海ぬし」が収録されている『悲恋悲歌』は同38年(1905)に刊行されたもので、その第三詩集に当たります。「田戸の海ぬし」は、田戸の海坊主といわれる老爺の猪之助という漁師とそれをとりまく情景を、俗謡風の語を用いて、七七調でうたったものです。また同年彼は、この辺りを題材とした瞑想詩劇『海堡技師』を発表しています。
 代表作としては、小説に『耽溺』『発展』『毒薬を飲む女』『放浪』『断橋』、評論に『神秘的半獣主義』、詩集に『闇の盃盤』などがあります。大正9年(1920)5月、腸の穿孔と腹膜炎のため逝去(享年48歳)。死の直前医師に、「これからいいものを書くぞ」と語気強く語ったといわれます。

交通:京急横須賀中央駅から徒歩10分、またはJR横須賀駅~(税務署経由)~JR衣笠駅間バス、文化会館前下車・徒歩6分
岩野泡鳴
 

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページは見つけやすかったですか?

このページは分かりやすかったですか?

このページは役に立ちましたか?