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更新日:2017年2月20日

ページID:3522

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泉鏡花文学碑

碑文

草 迷 宮
大崩壊(おおくずれ)の巌(いわお)の膚(はだ)は、
春は紫に、夏は緑、
秋紅(くれない)に、冬は黄に、
藤を編み、蔦(つた)を絡(まと)い、
鼓子花(ひるがお)も咲き、
竜胆(りんどう)も咲き、
尾花(おばな)が靡(なび)けば月も射す。

 「草迷宮」(くさめいきゅう)は、泉鏡花が仮住まいのつもりであった逗子で執筆し、明治41年(1908)に出版されました。主人公・葉越(はこし)明が、幼い時に亡き母から聞いた手まり毬歌をもう一度聞いてみたいと、それだけを念頭に豊前・小倉の故郷を出て諸国を訪ね歩いた末、ついに三浦郡秋谷の里、鶴谷の別宅で探り当てるという主題を軸にこの作品は描かれています。鶴谷邸のモデルは長屋門のある若命家と言われていますが、フィクションも多くあります。
 泉鏡花は、同6年(1873)11月に石川県金沢市で生まれ、本名は「鏡太郎」。鏡花の名は、見るだけで手に取れないもの、幻のたとえを意味する「鏡花水月」からとったといわれます。
 泉鏡花は同22年(1889)、尾崎紅葉の「二人比丘尼色懺悔」(ににんびくにいろざんげ)を読み感激し、翌年に小説家となるため上京、1年の放浪生活の末、紅葉の玄関番として寄宿し門下生となりました。同28年(1895)、「夜行巡査」や「外科室」を発表。ともに世評高く、観念小説群の一角を占めました。その文壇に与えた衝撃は大きく、彼の名は、新進作家として知られるに至りました。
 同33年(1900)に「高野聖」(こうやひじり)、同35年(1902)には「女仙前記」を発表。小説界の第一人者となりました。9歳で母を亡くしましたが、亡き母への憧憬は「照葉狂言」などに描かれています。また、処女作「冠弥左衛門」をはじめとして、世の貧しい不遇の人たちを描いた作品を数多く発表しました。生涯三百有余の作品を世に送り、晩年には帝国芸術院会員。昭和14年(1939)9月に逝去(享年66歳)。
 代表作に「高野聖」、「春昼」(しゅんちゅう)、「春昼後刻」、「歌行燈」(うたあんどん)、戯曲「天守物語」などがあります。

交通:JR横須賀駅~長井間バス(林下車・乗換)林~JR逗子駅間バス、またはJR逗子駅~長井間バス、立石下車・徒歩2分
泉鏡花

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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