総合案内 > 健康福祉・子育て教育 > 歴史・文化 > 文化財 > 妙真寺保存金并神金里共有金碑
更新日:2017年2月20日
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題字部分の篆額(てんがく)は、初代三浦郡長 小川茂周(しげちか)の書。
神金の豪農、石渡家の12代賢素(けんそ・通称 吉右衛門)が宝暦2年(1754)に檀徒の篤志家から献金を受けて妙真寺の寺金(妙真寺保存金)を創設し、その金を必要な人に低利で融通、その金利を使うことで檀徒に負担をかけずに寺の維持(本堂・庫裏の補修など)をしてきました。
さらに天明2年(1782)に神金里共有金を創りました。賢素は神金里の人々に毎晩必ず一束の縄をなわせ、これを毎年8月に集めて売り、これを10年続けて貯金しました。
この金が神金里共有金で、これを石渡家で預り運用して、その金で里のお祭り、日待(ひまち)、屋根替え、祝儀、不祝儀や兵隊に行くときの餞別まで出しました。江戸から昭和までこれが続き、この共有金で里の人々は永い間助かってきました。
このため里人が明治27年(1894)に石渡賢素を顕彰して碑を建立しました。
(JR「衣笠」・京急「堀ノ内」-バス〔衣笠30〕「妙真寺」-徒歩3分)
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