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更新日:2017年2月20日

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西脇順三郎文学碑

碑文

燈台へ行く道
まだ夏が終らない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのって
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいったことを
考えながら歩いた

  西脇順三郎は、明治27年(1894)1月に新潟県小千谷市で生まれました。少年時代から絵が好きで、将来は画家になることを志し、17歳で中学を卒業するとともに上京して藤島武二や黒田清輝らを訪ねています。しかし、父の急死などの事情により画家への道を断念し、慶応義塾大学へ進み、さらにオックスフォード大学へ留学しました。留学中に再び絵筆を握る傍ら、大正14年(1925)英文詩集『Spectrum』を刊行しました。
  慶応義塾大学文学部教授に就任した西脇順三郎は、新しいヨーロッパ文学の豊富な知識を背景に「三田文学」や「詩と詩論」を通じて目覚ましい批評活動を展開しました。終生にわたり「眼の詩人」、「視覚の詩人」と呼ばれましたが、その根底には少年時代の画家志望の夢がありました。
  昭和22年(1947)に自分の内面に潜むもう一人の人間を「幻影の人」と名付け、作品『旅人かへらず』とこれに続く詩集『近代の萬話』、『第三の神話』の中で追求し、西洋的教養と日本的感性を融合させた独自の詩風を築き上げました。さらに1960年代に入って、プルーストやジョイスの手法を駆使した長編詩集『失われた時』を始め、『豊饒の女神』、『えてるにたす』などの一連の詩集により西脇順三郎自身の詩風は頂点に達し、ノーベル賞の候補者にも名を連ねました。70歳代に入っても創作力の衰えを見せず、旺盛な想像力は、『礼記』、『壌歌』、『鹿門』といった詩集を生み出したのみならず、さらに80歳代には詩集『人類』と『定本西脇順三郎全詩集』が刊行されました。同57年(1982)6月に逝去(享年88歳)。文化功労者芸術院会員。
  西脇順三郎は同24年(1949)子息(順一氏)の遠足に同行して以来、観音崎を幾度か訪ねており、ここ観音崎をモチーフにした『燈台へ行く道』は、詩集『近代の萬話』に収められています。

交通:京急浦賀駅~観音崎間バス、または京急堀内駅~(馬堀海岸経由)~観音崎間バス、観音崎下車・徒歩7分
西脇順三郎

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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