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更新日:2017年2月20日

ページID:3517

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吉野秀雄歌碑

碑文

この島を北限とせる浜木綿の
身を寄せ合ふがごとき茂りよ
草質(くさだち)といへど逞し浜おもと
佐島の磯にいのち根づきし

 昭和29年(1954)7月の下旬に、吉野秀雄は横須賀に住む知人から「佐島のハマユウが咲き出したらしい」との連絡を受けて、天神島を訪れました。その日、彼は鎌倉の家から逗子に出て、芦名行きの臨時バスに乗っていました。初めは満員であった客も、森戸・一色・長者ヶ崎や久留和(くるわ)・秋谷などの海水浴場でだんだんに減り、終点の芦名で降りたのは、彼ただ一人といわれます。碑の歌は、この時に詠まれたもので、昭和33年(1958)10月に『寒蝉集』(かんせんしゅう)と新編『晴陰集』を収録して出版された『吉野秀雄歌集』に収められています。
 吉野秀雄は明治35年(1902)7月に群馬県高崎市で生まれました。大正11年(1922)慶応義塾大学経済学部に進みますが、同13年(1924)喀血して帰郷、長年にわたる療養生活がここに始まりました。そしてこのころから、正岡子規・伊藤左千夫以下のアララギ派歌人の歌集を読み、作歌を志すなど、国文学を独修することになりました。昭和6年(1931)鎌倉に転居し、同8年(1933)にはかねてから私淑していた会津八一に初めて会いました。彼は生涯病気と闘いながらも、自らの信念に基づいて作歌を続け、ついには独自の作風を打ち立てました。
 歌集は前記のほかに『天井凝視』『苔径集』『早梅集』、没後出版の『含紅集』があり、他には歌論集『短歌とは何か』、随筆集『やはらかな心』などの著述もあります。同42年(1967)7月に逝去(享年65歳)。

交通:JR横須賀駅~大楠芦名口間バス(佐島入口下車・乗換)佐島入口~佐島マリーナ
入口間バス、またはJR逗子駅~佐島マリーナ入口間バス、佐島マリーナ入口下車・徒歩5分
吉野秀雄

お問い合わせ

文化スポーツ観光部文化振興課

横須賀市小川町11番地 本館3号館4階<郵便物:「〒238-8550 文化振興課」で届きます>

電話番号:046-822-8116

ファクス:046-824-3277

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