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更新日:2017年2月20日
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安山岩製の尖頭方柱形の墓で、花立及び小盤を上面に彫り付けた台石上に立てられています。
正面に「法名真悦 不納位 法名妙忍 禅定尼」と、右側面に「寛文七年未十二月十五日」と新左衛門の没年と、左側面に「萬治三季子七月廿七日」と妻女の没年が刻まれています。
砂村新左衛門は越前国砂畑(福井県鯖江市)の出身といわれ(越前藩『御家御代々記』)、横浜の野毛新田(後の吉田新田)の開発に関係し、その経験をもって内川新田の開発(完成当初高360石余、のち585石余)を行いました。後に江戸宝六島(東京都江東区砂町)も開発しました。
砂村新左衛門は本市内における最大の新田工事である内川新田を、万治3年(1660)から寛文7年(1667)までの8か年を費やして完成させました。久里浜の夫婦橋袂(たもと)にある内川新田開発記念碑には、新田開発にあたり水門がしばしばこわれ、8か年の苦労と神仏の加護により、ようやく完成したと刻まれています。この記念碑は、昭和43年(1968)5月に本市指定史跡となりました。
毎年12月に久里浜観光協会により砂村新左衛門祭りが催され、記念碑前で式典、墓前で法要がそれぞれ行われています。
(JR「久里浜」・京急「京急久里浜」-徒歩10分)
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